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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第100回 (平成18年9月8日 席題 蚯蚓鳴く・女郎花)

女郎花の中に滝への道しるべ
 これはさっき言った女郎花の咲きざまがよく出ています。大きいです。一メーター五十とか、そのくらいの高さになりますし、大きくなります。だから咲き交わす前は全面出ていた道しるべなんだけれど、女郎花がぐうーっと枝を伸ばしてきてしまったので、女郎花の中に入り込んでしまって見にくい。という感じが、よく出ていますね。  
赤蜻蛉タンゴの如く折り返す
 これ、うまかったですね。賛同者、多かったですね。なんと言うんですか。タンゴ、ひょっと回転して、ひゅっと向きが変わる。あれは何ともいえない。たしかに蜻蛉もふうと反対に向くことがありますね。風上に向いていた蜻蛉が、ひゅっと後ろを向いた瞬間にしゅっと流れていく、そんな場面をいくらも見たことがあるんですが、なるほどそれをタンゴと捉えられたところがおしゃれだなと思いました。  
秋来ると地図を広げてゐたりけり
 これも自の句か他の句か悩ましいところですね。このままだと、他の句でしょうね。誰かが地図を広げている。「何しているの?」「地図見ているんだよ。」「へー。」「どこかへ行きたいと思ってるんだ。」という感じの句でしょうね。  「秋来ると地図を広げてをりにけり」「広げて見てをりぬ」だと自の句ですね。掲句だと(ゐたりけり)、他人の句。そうすると誰かが後ろから覗き込んでいる感じがしていると思いますね。  
かなかなと名残をさめる夕べかな
 うまいですね。「かなかなと名残をさめる」、名残鳴きを鳴き納めたということですが、「名残をさめる」という言い回しをなすったところが、工夫の跡があって、すばらしいですね。  
芋虫や触れんとすれば転げ落ち
 元の句、「芋虫やさわらんとして転げ落ち」。「さわらんとして」だと、触ろうとした人が落っこちてしまうみたいな。「触れんとすれば」だと、自分が触ろうとしたら、芋虫が転げ落ちたとなる。