」タグアーカイブ

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第85回 (平成18年6月9日 席題 蝙蝠・籐椅子)

梅雨入りや水玉の傘新しく
初めてなんですよね(この作者の参加が)。本当に素直ですね。いかにも新しい傘を、自分でもいいし、それを持っている女の人をみて、「ああ、新しいのを持って。」最初の畳み皺しかないような、そんな傘の感じが、よく出ている。
糀町祭り囃子も雨の内
元の句、「(前略)梅雨の内」。「梅雨」と「祭り囃子」が強さが似ているので、「祭り」が季題なのか、「梅雨」が季題なのかで、鑑賞をする時に迷ってしまいますね。ですから、いっそのこと「祭り囃子」で、夏の季題ですから、掲句のようになさった方が、ある麹町の感じがあると思いますね。しかも字遣いが、今の麹町でなくて、糀町だと、この字の持っている様子が、「雨の内」というのとぴったり合って、味わいの深い句だと思いました。
小指から夏手袋を脱ぐ女
女まで言わなくたって、夏手袋を脱ぐのは女だろうと思っていたんですが、この句をみたら、「小指から夏手袋を脱ぎにけり」では手品でもやっているのかなということになってしまう。そうなると「女」まで言った方が、狙っているある女の人の感じが出るんでしょうね。小指から脱ぐ仕草に、コケットリーを感じますね。うまいと思いました。
シャンパンの泡の向うに青葡萄
作者名を聞くと、いかにもむべなるかなという感じがいたします。シャンパンを外で飲んでいたんでしょう。シャンパンは季題にありませんが、シャンパンを季題で分けると、僕は「夏」という感じがするんですね。この句、その葡萄もいづれ育つとシャンパンになるかもしれない。そんなひじょうに明るい、戸外の光と、その光を弾くシャンパンの泡が細かく立った感じがよく出ていて、明るいいい句ですね。「泡の向ふに」というところが、いやみがないですね。
病葉や仏足石の親指に
これ、面白い句ですね。昔はただ仏足石と思ってたんだけれど、最近足の裏健康法がはやると、足の裏の図が出ていると、ツボはどこだと思ってしまうんだけれど、そんな気持ちで仏足石を見ると、親指の辺りにある病葉を見ると、これはどうも神経痛によくないななど、そんな錯覚を覚える昨今であります。きれいに磨かれた仏足石の足形の上に、病葉があったというところに、ある感じがあるなと思いました。