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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第65回 (平成18年2月10日 席題 実朝忌・片栗の花)

誘眠剤半分のんで雪を見る
夜、うまく眠れなくて、誘眠剤を飲むんだけれど、いつもは一錠飲むんだけれども、なんか眠れそうな気がして、半分だけ飲んだ。雨が何時の間にか雪に変わっている。戸をちょっと開けてみて、「あ、雪に変わったわ。」と言いながら、眠気がさしてくるのを待つ、静かな夜更けの時間。雨が雪に変わった状態が面白いと思いました。
湯につかりつゝ高窓の春の雪
これ、いろんな湯殿を想像できるんですが、僕が想像する湯殿は、ちょっと古いような、例えば山田温泉なんか、草津にもよくありますが、板がずっと高くあって、上の方だけがちょっと開いているような、そんなのが、よく温泉場の公衆浴場なんかにあります。そんな上の方の窓のところに、春の雪の切片が見えてをって、「あー、雪なんだ。」と思いながら、しみじみ湯に浸かってをる。 という場面を、私は想像しました。湯のたっぷりした温かさと、春の雪のゆっくりと舞い降りる様を楽しんでいる、そんな気持ちが伝わってくれば、この句はその役目を果たしているといえますね。
書割のごとき冬空雲一片
この句のいいところは、「雲一片」という字余りですね。「書割のごとき冬空」という言い回しは、今まで決してなかったわけではないが、真っ青な絵の具で塗ったような冬空。うーっと見回したら、そこに一つだけ雲があった。その雲をみつけた時の、心のちょっとした弾みが「雲一片」という音に出ていると言うふうに思われますね。
十歳を一粒として年の豆
子供の頃は、自分の年の数だけ食べたけれど、ある年を越したら、年の分だけ食べたら、おなかをこわしてしまう。十歳で、一粒ということにしておこうか。 という機転というか、老の賢さを感じさせる句だと思いました。
旧正や中華鍋(なべ)に絡む火龍のごと
この句の手柄は「龍のごと」というところに、大きな中華鍋の底を舐め回しているような、調理の風景を楽しんでいる。時あたかも旧正月であった。というところに、中華街でなくてもいいんだけれど、中華街の感じがしますね。『炒』とか『爆』とか、いろんな火の廻り方が中華料理にあるんですが、これは「絡む」だから、「炒」くらいでしょうかね。