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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第49回 (平成17年11月11日 席題 八手の花・鷲)

冬紅葉仙石原の美術館

 これも若干皮肉なんですね。又、美術館が出来てるようだよ。という、最近の日本の風潮というものに、それほど賛成してるわけでもないという感じ。それを、冬紅葉が語っているかなという感じがします。

喬木に白頭鷲の君臨す

 喬木という耳慣れないことばを使ったところが、面白いと思いましたね。高い木の若干植物学的な物言い。灌木に対して、喬木ということでしょ。喬木ということで、若干エキゾティックな感じがあって、そこに白頭鷲と言われると、アメリカ合衆国という感じがしますが、「君臨す」の格が合っているから、格としての世界は一つこれで完結しているなあと思って、面白いと思いました。

いづこにぞ鷲宿るらん遠き峰

 遠い峰を見ていて、どこかに鷲がいるらしいんだけれども、どこなのかしらね。見えるわけもないんだけれども、いることだけはわかっているという感じがあって、これもなかなか誠実な句作りの方法ですね。

夕闇に一粒の星冬来る

 これもいいですね。いかにも、冬来るの感じがあって。ちょうど今、火星の大接近があって、おそらく火星をご覧なったんでしょうが、火星を知らなくても、夕闇にプラネットが一つあるという感じがあると思います。

破れ蓮の大池めぐる大回廊

 これもちょっとエキゾティックですね。余り日本的でないような感じがいたしました。大体キリスト教でも仏教でも、大きな回廊があって、そこに学僧が歩きながら、形而上学的なことを考えるというのが、洋の東西を問わずあるようで、この大回廊にも、若干そういう学というものが、背後にあるという感じがしましたですね。