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お花見クルーズ
(2009.3.29)
水辺は旅心を誘う
―お花見クルーズ「マルコポーロ号」出航せり― 幸雄レポート
■舟を失えば深川にあらず
深川は分国でいえば下総国葛飾郡であった。
深川の北隣で隅田川に架かる両国橋の名は武蔵国と下総国をつなぐという意に由来している。
江戸が膨張して深川がそれまでの代官支配から江戸町奉行の支配下になったのは正徳三年といわれている。
江戸中期のことで深川は遅れて江戸に編入されて「ご府内」の町となった。
遅参者は忠義者といわれるのは世の常で、それは町も同じことである。
現在の深川が関東大震災、東京大空襲に遭いながらも、「東京の中に残された江戸」という意識が強いのは
遅れて江戸へやって来たことへのこだわりと見れば納得ができる。
対峙する江戸から深川を見ると、それは島のようであり江戸の外縁、異郷の地であった。
深川は隅田川対岸の地でありながら江戸からは遠いところだった。
松尾芭蕉が庵をむすんでいた頃は隅田川に架かっているのははるか離れた両国橋、千住大橋だけで
新大橋、永代橋の架設は芭蕉の没後のことである。
そのため、芭蕉はそれ以前に住んでいた日本橋本船町の仮寓を捨てて芭蕉庵へ行くためには隅田川を
舟で渡ったものと考えられている。
当時の深川への交通手段として、舟は欠かせない重要なものだったのである。
「水の深川」といわれ、「水を離れて深川はなく、舟を失えば深川にあらず」といわれるように
舟と水は対をなして深川を彩るのである。
そして芭蕉庵、採荼庵は水路に近く、水辺は芭蕉の旅心を誘ったといえる。
深川に庵があったために、「鹿島紀行」、「奥の細道」の旅のはじまりは庵の前から小舟に乗って旅立つことに
なるのである。
■「マルコポーロ号」出航せり
平成二十一年三月二十九日(日曜日)、いよいよ「お花見クルーズ」の日である。
「夏潮」としては平成十九年九月に行われた「お月見クルーズ」に続く企画である。
これ以上を望めない晴天で、しかも風がない。
まさにクルーズ日和といって良い。
参加者は本井主宰を入れて五十名。
遠くは関西方面から参加の会員もおられ、幹事としてはありがたいことである。
マルコポーロ号は午前十一時、静かに築地川の桟橋を離れた。
船の舵を取るのは会員・大澤輝美さんご夫君、大澤船長である。
この「マルコポーロ号」は大澤船長の長年の「水上バス」運転の経験から特注したものである。
チーク材を多用したクラシックなイメージの遊覧船だ。
パーティーボートならではの船室でパーティーを楽しむ。
上部デッキに登ると、ここが最高である。
全展開の展望を楽しむことができる。
屋形船も良いが船底から見上げるような姿勢になってしまい、その視線での展望は優れない。
その点、「マルコポーロ号」は、さすが経験豊富な大澤船長の設計でその眺望が素晴らしい。
荷風流に言うならば遊覧船は展望、眺望を第一とするということになる。
本井主宰より今回の「お花見クルーズ」の眼目である「奥の細道」の旅立ちについての話があった。
主宰の解説が終わるとすぐに永代橋を過ぎ、仙台堀川の水門が見えてきた。
主宰から配られた解説プリントによれば、芭蕉は「奥の細道」の旅を控えた元禄二年の二月末、
第二次芭蕉庵を手放し、旅立ちの一ヶ月ほどを仙台堀川のほとりにあった杉山杉風の別墅「採荼庵」で過ごしたという。
現在、仙台堀川・海辺橋たもとにある採荼庵跡には江東区によって旅装束に身を包んで、今にも腰を上げそうな芭蕉の像が置かれ、
行きかう車の列を眺めている。残念ながら仙台堀川から隅田川への出口は水門ができて、付近は埋め立てら
れている。
仙台堀川水門を過ぎると小名木川の河口となり、芭蕉庵跡付近に芭蕉庵史跡庭園が見えてきた。
ここにある芭蕉像は「回る芭蕉像」で、タイミングよく「マルコポーロ号」の方向に向いていて、
私達に「後代の士よ究めよ」と言っているようである。
両国橋を過ぎて、吾妻橋から桜橋の間は屋形船が集まり屋形船銀座のようになっている。
この辺りの桜は「墨堤の桜」といわれる所で、桜は三分咲きだが美しい。
(写真をクリックすると桜が見えます)
その名も桜橋を過ぎると隅田川は大きく蛇行して流れ、千住大橋に至った。
千住大橋の下が「御上り場」とされ、「奥の細道」では
「千じゆと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」とある。
川岸の堤防の壁には安藤広重や葛飾北斎が千住大橋を描いた浮世絵の模写があった。
芭蕉たちが深川を舟で出発して、千住に上陸し旅立ったのは旧暦元禄二年三月二十七日である。
元禄の代に思いを馳せて、マルコポーロ号は反転し、隅田川を下り湾岸へ向った。
大澤船長のご厚意により、お台場に遊び、築地川浜離宮桟橋へ戻った。
句会は午後二時より築地市場近くの中央区立築地社会教育会館で行われた。
参加者の当日の一句は次の通りである。
■当日の一句
溯り来たりそろそろ梅若忌 英
橋くぐる度の春日や隅田川 なな
橋の名に江戸が残りて花の昼 和子
薄紅に咲き初む桜堤かな 朋子
桟橋の揺れに春光ゆらぎけり 糸白
中空にオーガンディーや春の雲 敬子
船の名はマルコポーロや蝶の昼 のり子
墨堤の花ぼんぼりに花三分 静江
魁の花一本や隅田川 妙子
大川の水門いくつ若桜 燿
花見客と手を振り合ひ過ぎる橋 淳子
船足をゆるめ桜の咲くあたり 裕子
船室に春の暖炉のありがたし 寿恵子
この奥に採荼庵跡水の春 照子
色街はビルに替つて春の午后 やすし
佃島の春や朝ドラ思い出す 宏
一分咲きなれど佃の花むしろ 観子
大川へ開く水門柳に芽 千恵子
乗り合はす人賑やかや春の航 華
花冷の舳先ゆるりと回しけり 祥子
一分咲き二分咲き桜それも良し 達雄
友と来てお花見嬉し春日和 洋子
船べりにからだ預けて花の昼 美保
岸の人と手を振りあひて花見船 さえ
鵜のよぎる船の行手や風光る 桂子
橋の色を娯しみ潜る春の航 秋
吾妻橋あたり混み合ひ花見船 温子
春昼やマスト連なる船溜り 博
猪牙舟や千住河岸まで桜狩 けん詩
花見船次々橋の現はるゝ 早苗
春昼や千住大橋折り返す やよひ
翻る分け行く花見船 稜子
今日はしも彌生三日や舟出せむ 道子
柳の芽青み程良き丈であり 晶子
墨堤に花待ち切れぬ人の数 明朗
折り返す千住大橋花の航 伊紀子
漂泊の思ひやしばし春かもめ 野梨壺
深川を出でて千住や水脈の春 良
白き船揚げ早春の造船所 紘二
曳波を花の堤にぶつけ行く 百舌鳥
右岸左岸煙る芽柳なりしかな ミチ
だるま船曳航されて春の川 幸雄