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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第4回 (平成16年12月10日 席題 鰤・紙漉)

大漁の鰤丸々と肥えてをり

これも、まっとうな写生の仕方で、こういう句からどんどん想を練っていかれると、その時の鰤はこうであったということが、段々発展していくんだと思います。

 

漆黒の闇鰤起し鋭くひかる

「漆黒の闇」とまでおっしゃったところに、いわゆる日本海、金沢とか富山とか、そういう所の海というものは、なお一層濃い闇であるよ。と想像させるような所ですね。鰤起しというのは、実は季節風が強く吹くと、これは僕の想像なんですが、富山湾なんかでいうと、沖へ帰る風が強いですから、鰤の回遊コースが陸寄りになるんですね。定置網の距離の所に入ってくるので、北風が強くって、雷がゴロゴロゴロと鳴るようなことを「鰤起し」というんだけれど、そういう風の時にほど、鰤が網によくかかる。ただ、そういう時は一番危険で、起しに行った漁師がよく遭難するんですが、富山では特に鰤がないと、正月になりませんから、そんなことになるんだろうと思いますね。

 

気持まず走り始めて十二月

これもいい句ですね。師走ということばを、どっかに感じさせながら、気持ちが走っていて、まだ十二月、そんな深くないんだから、そんなに焦ることはないんだけれど、なんか気持ちが焦っている。というのを、「走り始めて」というのが、うまい言い方だなと思って、感心いたしました。

 

灯りける路次に鍋の香漂へる

元の句、「漂ひぬ」。完了の「ぬ」だと、一過性の感じがしてきますね。「漂へる」というと、ずっと漂っていたということになる。この句の面白いのは、「灯りける」というところ。それまで点いていなかった路次に、割合日暮れが早くって、灯がぽっとついた瞬間に、ぱっとその路次が、路次として浮かび上がる。その時に、本当は香っていたはずの鍋の香りが、一層、どこかの店で鍋をやっているなという感じがする。ぽっと灯った瞬間に、実は香りまでが、その場に登場してくるという解釈をしたんです。その為にも、「漂へる」となさった方がいいと思います。

 

紙を漉く手赤く息の白々と

元の句「手赤し息は白々と」。「赤し」で切ってしまうと、「息は白々と」がどっかにいってしまう。「手赤く息の白々と」というと、赤と白のコントラスト。元のようだと、ばらばらになってしまう。その辺も、助詞の使い方を工夫なさって、俳句は「切る」か「付けるか」で、勝負がつきますからね。意識してなさるのがいいと思いますね。