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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第39回 (平成17年9月9日 席題 狗尾草・夕月夜)

もろこしのひげを尾にして瓜の牛

「瓜の牛」って、つまり精霊様が乗ってくるものだと、すぐわかるんだけれど、元の句が、「もろこしのひげを尾にした瓜の牛」。いいんだけれど、若干口語的。やっぱり、「もろこしのひげを尾にせし」、あるいは、「もろこしのひげを尾にして」と、すんなり詠んだ方がよい。「尾にした」だと、口語的な言い方が、そこだけ飛び抜けて目立ってしまう感じがして、もったいないですね。瓜の牛に工夫がしてあって、面白いと思いました。

牛小屋に牛の帰りて秋の暮

これはまた朴訥というか、昔にありそうな句ですね。なるほど牛というものの持っている秋の暮との匂い合いは、牛の持っているもわーっとした感じと秋の暮の気分がよく出ていると思いますね。

行列のチョコレート買ふ九月かな

「いつの間にがらりと涼しチョコレート」(用字未確認)という句が星野立子にありますが、チョコレートというのはなるほど、暑い時には感じないんですが、ひゅっと涼しくなった瞬間に、急にチョコレートが恋しくなるような、チョコレートの甘さを受け入れられる気分がしてくる、それが九月なんだなあと思いました。

マンションへ救助のボート秋出水

時事的な句ですね。確かに秋出水で、ちょっと川が増水したくらいを平気で秋出水と作った時に、今は亡き、藤松遊子という先輩が、水が出て氾濫しなければ秋出水ではない。それを秋出水とするのは、季題に対して失礼だと言って憤慨してをられたのを、思い出します。今回のあの事件は、秋出水そのものです。 こういう句で、「都会のマンションはけっこう脆弱で、ちょっとした雨でこんな事態になって」なんていう風刺的な解釈をしたら、この句はつまらない。この句を解釈する時は、形です。マンションという大きな四角い形の所に、秋出水で水がすぽーんと入っていて、そこに救助のボートがつけてあるという形です。その形で味わう。たしかシスレーに、パリのセーヌ川の秋出水を描いた有名な絵が、オルセーにありましたね。あれも出水の社会的なことでなくて、形なんですよ。もちろんシスレーなので、点描主義みたいになって、光と影で描いているんだけれど、俳句も、そういう内容をどうするというのでなくて、フォルム、形ですね。それをぽんとやって、面白い形だなという、そういう味わい方もあるんで、この句はそう味わうべきだと思います。

手触りは猫の尾らしやえのこ草

まことに素直に、童女のような句ですね。触ってみたら、猫の尾っぽの方に近いじゃない。だけど名前は「えのこ」=犬の子。そこに諧謔味を覚えた句だと思います。