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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第54回 (平成17年12月9日 席題 火事・枯茨)

枝はなれて落葉が土に触れる音

こういう句は、俳句の一つのやり方ですね。実際に音がかさっとしたかどうかは別で、主観の中では、枝を離れてその葉っぱが地に落ちた時に、かさっと音が聞こえたような気がした。もっと大袈裟な人は、蝶ちょが落ちて大音響の結氷期という句がありますけれども、作り方は別です。この句,実際に音がするしないとは別に、心の中で「かさっ」と音が聞こえたような気がした。というのは、ひじょうに細やかなセンスの句で、いいと思いますね。昔、「葉っぱのフレディー」という絵本が流行ったことがありましたね。それを、ふと思いました。

白樺は薙をなだむる冬木立

これは実によく白樺をご存知の方の句だと思いました。雪崩みたいになって崩れた跡が薙。なぎ倒されて、地肌が出てしまっている、それが薙です。実はそういう所の木としては、白樺は成長が早いです。白樺はすかすかですね。軽くて、すぐ伸びてしまう。土砂崩れのあとで、最初に木立を形成するのは、なるほど白樺が向いているかもしれない。そう言われてみると、露わに削れた山肌をいつの間にか冬木立が覆ってをった。それは白樺であった。冬木立ですから、葉っぱが落ちて、白い幹が見えていたんでしょうね。何か自然の大きなサイクルに触れるような、いい句だと思いました。

岬なる弾薬庫跡枯茨

これは三浦半島なんかに、あちこちあるんですね。砲台があって、砲台の玉の弾薬庫があって、昔の三浦半島の地図って真っ白なんですね。要塞地帯なんで、地図になっていない。この句はまさにそういう要塞地帯の句です。

サイレンの遠く近くに夜の火事

これもさっき、ちらっと言いましたが、夜の火事というのは、遠くでもひじょうに近く感じるものです。ああ、近いなと思っていると、サイレンの音が遠くの方の音も、近くの方の音も、何台もそこに向かって、消防自動車が走っているという感じがあると思います。

一組の蒲団干さるる山家かな

寂しい句ですね。山家で、元は何人も住んでいたんでしょう。ふっとハイキングがてら、山里の村に入っていったら、山家が一軒あって、その日向の二階の窓に、掛け布団と敷き布団と枕かなにかが上に置いてあって、ちょうど一人分の布団が干してあった。あ、結構大きな家なんだけれど、一人住まいなんだな。いろいろ、亭主に先立たれたとか、子供たちが出ていってしまったとか、何人も住める大きな家なのに、今はたった一人の布団が干してある。というと、何かしみじみとした哀れがあって、あすこの家にもいろいろあるんだろう。と、何かポッポ屋みたいな感じがしますね。一人住まいのわびしさがよく出ていると思いました。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第53回 (平成17年12月9日 席題 火事・枯茨)

富士を見つ小春の海をたのしめり

これは若干主観的な句ですが、どこか湘南あたりの、あるいは房州でも見えるんですけれども、そんな小春の海を静かだなあと思って、見ている。そして、富士が見えていて、喜んでいる。これは僕ら、関東人から見ると、当たり前の景色なんだけれど、日本の全国的な見地からすると、これは決して当たり前の景色ではなくて、関東の独特の景なんですね。裏日本へ行ったら、そんなことはない。そういう点で、面白いと思いましたね。

夜の火事湖水を染めて空を染めて

元の句、「夜の火事湖水を染めて空を染め」。こう言うと、シンメトリックな面白さが生きていないんですね。「湖水を染めて空を染めて」と字余りにすると、そのシンメトリーの並列した面白さが出る。それを字数を気にして、原句のようにしてしまうと、その面白さが出ない。この句は「夜の火事」というのが、よく生きていますね。どこかの湖で、夜の火事をご覧になったことがあるんでしょう。夜の火事の方がこわいですね。燃えた方にはわるいんですが、きれいな句です。

火事あとの何時通っても更地なる

元の句、「何時通っても更地」。字足らずより、「更地なる」と、「なる」をお入れになった方が、よろしいんではないですか。面白いですね。火事があって、「ああ、大変。あそこ火事があったそうだ。」そのうち整地をして、蛇口が一つあるくらいで、更地になっている。いつか建て替えるんだろうとなんて言っても、いつまでも更地のまま。きっと、火事になって、いろいろと揉めたり、駐車場にしようかという案が出たり、うまく行っていないんだろう。火事跡を詠みながら、火事跡をめぐる人間模様まで見えるような「あの家、どうしてしまうのかしら」という感じがあって、面白いと思いましたね。

枯色の朴葉も無人スタンドに

「無人スタンド」で、はたしてお百姓さんがやっている、ほうれん草百円、大根百円ていうのがありますね。それと言えるかどうか、ちょっと不安はありますが、普通なら野菜を売っているのに、何と朴葉を十枚くらい、まとめて売っている。こんなの、売れるのかしらと思いながら、通ったという、そんな近郊農村の姿が見えてきました。

片方になりし手袋捨てがたく

いいですね。いろんな解釈ができて、まだなくなっちゃったばかりだから、出てくるかもしれないという気持ちのある無念と、実はその手袋は思い出があって、誰々からもらった手袋であるとか、そんなことがあって、わかっているけれども捨てられない。どちらで解釈しても、こういうことはよくあることで、面白いと思いました。