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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第86回 (平成18年6月9日 席題 蝙蝠・籐椅子)

籐椅子の身体にそひてたはみけり
これは素直な句ですね。席題でこうやって素直に作ることが大切です。席題に想を巡らすことが、上達法の大事な一つなんですね。その時に、なかなか想が巡らなかったら、今度は実物をよく見るという癖がつく。嘱目と兼題とが、両輪のようにうまくなることなんです。兼題が出た時に、一生懸命考えて、その世界に自分を置く。これなどは、成功している例だと思いますよ。
蝙蝠や打ち捨てられし野の祠
これもいいですね。どこかでご覧になった景色なんでしょう。祠もずいぶん雨傷みして、観音開きの扉もはずれてしまって、信仰する人もいない。そこに今は蝙蝠が飛ぶばかりである。ある感じがありますね。
蝙蝠の飛びて灯台灯り初む
これは時間を言っていますね。灯台が灯り始めたような時間帯、ちょうどトワイライトタイムに、蝙蝠が動き始める。初めて見た人は、蝙蝠だとわからなくて、燕かと思うんだけれど、曲がり方が違います。燕の三倍から五倍、細かく曲がります。いかにも飛び方が違う。ともかく、そういう時間にと言うのが、この句のポイント。
遠のけば水鶏の叩き又はじむ
まあ水鶏がいたんですか? 実際に最近水鶏の音を聞くチャンスは少ないですが、この句の場合、「遠のけば」、つまり水鶏が鳴いているのに近づいたら、ほっと止まってしまった。ぽんぽんというのが止まった。また戻ったら、ぽんぽんと鳴いた。人の行動のプロセスが見えてきますね。
くちなしの花や少しも傷のなき
これはいかにも山梔子らしい。「今朝咲きしくちなしのまた白きこと」。立子の句があります。山梔子の特徴です。翌日は傷もつく。黄ばみもする。咲いたばかりの山梔子のこと、傷もない。