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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第60回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣)

江の島の見え白波の三日かな
「三日」という季題が面白いですね。「三日」と言われると、もしかするとお元日は穏やかな日だったんだけど、少し風が荒れてとか、そんなことが想像できて面白いと思います。
醍醐寺に龍の玉あり子らの声
この句はうまかったですね。いい句ですね。醍醐寺というもののロケーションを思うと、なるほどそうだ。裏に東山の末の山を背負っていて、勿論醍醐の花見をした境内が広々としている。それでいて、山科のちょっと南ですから、京都の中では、若干庶民的な地域です。そこに子供の声が聞こえる。広い境内の遣り水みたいな所の石の縁に竜の鬚が植えてあって、竜の玉だと思って見ていたら、子供の声が聞こえてきた。
寒の月長き物書き了へたれば
この句の「寒の月」は面白いですね。つまり月の出の前から、ずっと書いていたんでしょう。下弦の月ぐらいになるのかな。二十二日くらいの月だと、昼間から書き続けて、夜電気を点ける頃も書いている。だけれど、月はない。ところが真夜中、あ、書き終わったと思ったら、ちょうど中天にいつ上がったんだろう。寒月だ。弦月ですね。下弦の月がかかってをった。という、なるほど、そういう捉え方があるなと思いました。
青空に追羽子の音吸はれゆく
こちらは、醍醐寺の句よりも若干技巧的なんですが、この追羽子のかちんかちんという音が、青空に吸われていったようだということで、これも天気のいいお正月を感じさせてくれます。
空也忌の小さき最中を食しをり
空也忌だから空也の最中を食べてみようかというので、戯れに空也の最中を食べているということなんだと思いますが、こういう時には、もう少し洒落てしまって、「をり」よりは「けり」なんでしょうね。その方がぴしっと面白みが出ると思います。「をり」だとリアルになってしまう。食べている姿が目に浮かんでしまう。食べている姿が目に浮かんでしまったら、空也忌の空也最中の面白さが消えてしまう。この句の場合には、姿が見える必要はないから、「空也忌の小さき最中を食しけり」とすると、「そうそう、空也ってあるよね。どうして、そんな名前だろう。」とか、さまざまな想像が楽しめるということで、僕の作り方とはちょっと違う作り方なんだけれど、こういう句もこういう句で、面白いなと思いました。