花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第24回 (平成17年5月13日 席題 蛞蝓・橡の花)

朴咲いて白馬村なる日和かな
元の句、「白馬の村の日和かな」。『白馬の村』というと、『白馬の騎士』みたいになってしまって、あるいは、白い馬がたくさんいる村みたいになってしまいますね。白馬の村はちょっと無理でしょうね。もしかして信州の白馬村だとすればね。そうしたら、白馬村とおっしゃらなければ無理なんで、掲句のようにすると、なるほど、栂池とか、天気がよければ、上の白馬槍とか杓子とかが見えている。その日和も、想像できると思います。
雨音に明日の牡丹を思ひをり
牡丹が庭に咲いてをった。今日はきれいだった。雨音がしてきた。どうだろう。明日見てみよう。こぼれてしまった花弁があるかもしれないなー。だからと言って、シャッターを開けたり、雨戸を開けたりして見るわけではないんだけれど、頭の中で、今日一日見ていた牡丹と、明日の朝の変わり様を、心配しながら、雨音を聴いているという句。元の句の「思ひやる」だと、ちょっと違う。「思ひやり」とか「思ひやる」だと、情が籠り過ぎてしまって、味が濃くなってしまう。「思ひをり」と少しクールにしてしまった方がいい。
京御幸町上ル西入ル新茶買ふ
どこだか存じませんが、上ル西入ルで、大きな碁盤の目から外れていない部分だということが、この表記の仕方でわかる。古い葉茶屋さんがあって、わざわざ買いに行った。おそらく京都の人皆が好む、新茶が宇治から運ばれて、京の 町中で、売られているのであろうというところまではわかりますね。
密柑山の花の香りに誘はれて
これ、最初から「密柑山の」と字余りでしたね。大分、表現のコツを飲み込まれたことを、嬉しく思います。「密柑山花の香りに(後略)」では歌謡曲になっていってしまう。「密柑山の花の香りに」とすると、突然上品になって、その香りがひじょうにいい香りで、たまたま上る気はないんだけれども、あまりの香りのよさに、「ちょっと上ってみようか」というので、畑につれて上ってみた。