花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第41回 (平成17年10月7日 席題 案山子・秋の声)

鳴き初めてすぐに止みけり秋の蝉

  季題は「秋の蝉」。具体的には法師蝉などが多いんだけれども、油蝉などが残っていることがあります。秋の蝉というと、『哀れな』とか「可哀想な」「命が短い」とかいう連想があるんだけれど、この句はそういう情的なものを一切切り捨てて、鳴き始めたら、すぐに止んだという事実だけを述べたところに、句としての行き方の正しさがありますね。「あ、鳴き始めた。」と思ったら、すぐに止んでしまった。という、それだけのことなんですが、なるほど言われてみれば、秋蝉らしいと思います。

運河沿ひのベンチ人なく秋の声

  元の句は、「運河沿ひベンチに人なく秋の声」。「ベンチに人なく」がいかにもリズムがわるい。「運河沿ひのベンチ人なく」も「運河沿ひベンチに人なく」も、字余りは同じなんですね。原句の字余りは中七が八になっている字余り。手を入れた方は、上五が六になる字余り。やっぱり中七が八になる字余りは割合むずかしくて、大体リズムを崩すことが多いんですね。しかも、「運河沿ひベンチに人なく」とすると、けっこう説明っぽい。特に「に」の音が、説明くさくなりますね。しかも「運河沿ひ」が中途半端に表現が止まってしまってる。「運河沿ひのベンチ」というと、ここまで一気に「ベンチ」が出ますね。そこまで一気に叙しておいて、「人なく秋の声」。とすると、どんな景色でもいいんだけれど、例えばパリのサンマルタン運河の入口とか出口とか、西洋の運河沿いの感じもちょっとしてきて、町の中の運河の景色に人影がなくて、そこに漂っている秋の声があったというのは、ある感じが出ているなあと思いました。

虫の音の枕べ近く登山宿

  元の句、「虫の音の枕べ近し(後略)」。こういうと、虫の音の近いということが主眼になりますね。それに対して「枕べ近く登山宿」というと、「という全体の登山宿」と、捉え直すことになるので、この句の場合は「近く」の方が登山宿らしいような気がしますね。虫の音は秋が深まるにつれて、家に近づいてくるもので、こう言われてみると、なるほど登山宿だから秋が早くって、枕のそばで虫が鳴いているようにすら感じた。というのは、よくわかることだなあと思って、登山宿の気分がよくでていると思いますね。

旅立の荷造りをれば秋の声

  秋声というのは、秋の雰囲気、秋らしい感じが漠然とあるというのが、「秋の声」です。実際音がしていても、していなくてもいいんですが、この場合は、近々旅立つんで、荷造りをしてをった。ふっと手を休めてみたら、家というか、自分というか、全体に秋の声のような雰囲気に包まれてをったという句だと思って、その旅先の様子も自ずから窺われようというものだろうと思います。元の句、「旅立ちの荷を造りをり」とすると、自分のことだか、他人のことだかわからない。どちらかというと、他の方が強いかもしれない。ちょっと荷を造るといことと、秋の声が結び付かない。どうしても、自のことにしたい。そうすると「旅立の荷造りをれば秋の声」。これは完全に自分のことになる。ほつほつと荷造りしては、手を休め、荷造りをしてをったという感じが出てくると思いますね。

大欅に日のひらひらと秋の声

  原句、「大欅日のひらひらと」でしたね。これも字余りにして「大欅に」とした方が、句としては落ち着きが出ますね。『大欅日のひらひらと秋の声』だと、ばらんばらんでしょ。いつも言うことですが、繋がるところと切るところ。どこかで大きく切りましょう。後はできるだけ繋げましょうというのが、俳句らしい、表現のコツです。掲句のようにした方が、景が落ち着くと思います。