花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第64回 (平成18年2月10日 席題 実朝忌・片栗の花)

面着けて小鬼元気や豆を撒く
元の句、「面着けて小鬼元気に豆を打つ」。鬼は豆を撒かれる方だから、原句だと意味がわからない。子供が鬼の面をつけて鬼の役をやって、大人が豆を撒いているというのが、場面としては真っ当でしょうね。徒然草などに出てくるのは、宮中ではちゃんとした役人が駆けずり廻って逃げる。今は知りませんが…。豆は打つでなく、撒くですね。
公魚のきらめく腹をひと撫です
元の句、「ひと撫でし」。これだと、ちょっと軽いですね。「す」と終止形で抑えた方が、重みがきちっとすると思いますね。釣れたばっかりの公魚を、穴釣りでも、ボート釣りでもいいんですが、ちょっと手でもって、腹のあたりを撫でてみた。というと、いかにも小さな小さな公魚の、そのまた哀れな腹の様子が見えてきて、いいなと思いますね。
着ぶくれて三人掛けに二人居り
これは何の三人掛けだかよくわからないんだけれど、例えば電車のような所だとすると、三人掛けになるような広さの所なんだけれど、着膨れた人が真ん丸になって、二人掛けでちょうどいい感じがした。それをマナーとして責めてるわけでなく、ちょうどぴったりなくらいね。という感じ。足も短くて、床につくかつかないかみたいな、おばさんみたいな人を感じますね。
地に落ちてすぐ消える雪実朝忌
「雪」と「実朝忌」と、季重ねになっていますけれど、毎回言うように、特異性の強い季題が入っていると、そちらが強い。時期、時間限定性が強いのもそれです。実朝忌は、何日と決まっていますから、雪と出てきても、雪は弱い。従って、実朝忌の句として、なんら困ることがない。こういう作り方は季重ねがこわくない作り方ですね。
交りたる蛙動かぬ池の底
蛙って、本当に不思議なんで、蛙が交っている時って、気持ちの悪いように、何十匹何百匹交りながら、一方で産みながらという凄い状態がある。これは交っている蛙が動かないでいるというんだけれども、それが一塊でなくて、相手を変えながら凄い場面なんです。そのある一瞬を、凄い場面なのを、淡々と詠んだという面白さがありますね。俳句の一つの面白さですね。