花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第7回 (平成17年2月18日 席題 梅・余寒)

ろうそくを立ててかまくら完成す

たしか去年の今頃、「かまくら」という席題で、皆さん作って、僕もかまくらの句で遊ばせていただいた記憶があるんですが、この句はこの句でよく出来てますね。しかも昔ながらに子供が作ったかまくらではなくって、観光協会とか、そんな町の大人が、いくつもいくつも作って、「さあ、これで出来上がりだ。」というところに、子供がやってきて、水神様を祀る。そんな感じがあって、大人の作った感じが、「かまくら完成す」というリズムですね。「ろうそくを立ててかまくらできあがる」とか「できあがり」というと、子供が作ったような感じがありますが、「完成す」と言われると、町の青年団かなにかが、子供に代わって作っているような、そんな感じがあって、面白いと思いました。

風止んで梅見日和と云ふべかり

これは実に俳句の骨法を心得た作り方。風がひゅーひゅー吹いているうちは、梅はきれいであるんだけれど、心が落ち着かなかった。昼頃から、風が止んでみたらば、マフラーが邪魔なくらいの感じがしてきた。「ああ、これが本当の梅見日和かしらね。梅にあっている。」ちょっと手前勝手な句ですけれどね。本当は寒いのが、梅見日和で、ほの暖かくなったら、花見日和みたいになるんですけれど、そこは人間の心理で、面白いと思いましたね。午前中の風のある時から、昼頃、ぱたっと風が止んだ、そのタイムスパンが見えてくる、そこが面白いと思いました。

梅見頃臨時改札山の駅

ようく目の届いた句でいいですね。梅の頃になって、ある山の駅に臨時改札ができる。普段の改札口は、集落の方に一つあるきり。上りで降りようが、下りで降りようが、一本のホームをずっと片方の方へ行って、そこから出る。梅林は丘がかった所にあって、梅林へ行くお客にとって、一旦、集落の方へ行って改札を通って、また道の方へ行くなんていやなこったというような人がたくさんいるんで、反対側の山の口あたりに臨時改札口を作って、電車が着く度に、駅員が出向いて、臨時改札をしておる。といったような、一年の間にせいぜい二週間位しかやらないんだけれど、村にとっても、その人にとっても年中行事みたいになっている。というようなことが、すべて見えてきて、いいですね。この句のよろしさは、ああだこうだと説明していない。見えたものだけを、材料をとんとんと列べて、今僕が解釈したような内容をきちんと伝えているという点で、上等な句だと思いました。

賛美歌も花も余寒の葬儀(はふり)かな

ちょうど寒が終わった頃というのは、病の人は一番亡くなりやすい。二月、八月が亡くなりやすい。寒があけたんだけれど、あいかわらず寒さが続いて、献花などを待っている人の裾のあたりがすーすーと寒いという感じかもしれません。

春は曙ガレのランプの琥珀色

この句は字余りをうまく使った句ですね。「春は曙」とわざと字余りにしておいて、勿論、枕の草子の世界を背景に置きながら、まったりとした、落ち着いた時間の中で、ガレの不思議なアールヌーボーの琥珀色の色合いと温かさを一句にしている。とにもかくにも、「春は曙」と初五を字余りにして、ところで私は、清少納言が見たら喜ぶかもしれないような、これを味わっております。という句で、これも、なかなか上等な句ですね。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第3回 (平成16年12月10日 席題 鰤・紙漉)

黒マフラー跨ぎ人過ぐ銀座かな

この句、面白い句ですね。「マフラー」が季題です。高田風人子という作者に、「マフラーや銀座新宿人違う」という句があります。まあ、それは昭和二十年代の銀座と新宿の違いでしょうね。今はそれほどの差があるかどうかわかりません。ただ、黒マフラーというものの持っている、あるシックな気分と銀座。そして皆跨いでいく。拾って、落としましたよとは、誰も言わないという、一つの銀座というものの様子が出ているなと思いました。

 

下足札持ちて座敷へ三の酉

一の酉、二の酉、三の酉で、今年は三の酉までございました。勿論、酉の市の帰りに流れるのは、いい人は浅草へ、わるい人は吉原へということになるんです。この人はよい人で、浅草へ流れたわけですね。米久だとか、どこかわかりませんが、そういう大きな、印半纏を着た下足番がいるような、そんな所に、「まあ、久々ね。」と、米久だと太鼓がどんどんと鳴って、上がっていく。というような、寒いところを来た。でも、店に入った、くつろいだ気持ちが出ていて、よろしかろうと思います。

 

冬木立遠き景色も招き入れ

この句は、採るか採らないか悩んだ末に採ったんですね。この句、とても奥深い句で、「招き入れ」というところに、実にうまい景への心の傾きが出ていると思います。ただ、ちょっとわかりにくいところもあるんですね。冬木立に透けてくるんだけれども、冬木立の隣った分に遠い景色を招き入れるともとれるし、自分の家の窓の景として、冬木立が透けたために、窓の景として招き入れることが出来たともとれる。そこのところが、若干、焦点が絞り切れていないところがあるんです。ただ、景を「招き入れ」るという表現には、ほとほと感心をしたわけです。

 

葉牡丹のひしめき合へる花壇かな

これもなかなかまっとうな句で、花壇がちょっと傾斜しているような気がして、面白いなと思いました。

 

短日やけふの仕事をまた延ばし

ただでさえ日が短いのにまたこの仕事を延ばしちゃった。ということで、よくわかる。師走とは言わないけれど、気分は師走であるということですね。