寒牡丹女と生れきて老いし 岩本桂子(2013年6月号)

季題は「寒牡丹」、「冬牡丹」とも言い、初夏に咲くべき「牡丹」を園芸の技術で真冬に咲かせ、人々を珍しがらせるところに意味を置いている。言い方は似ているが「葉牡丹」はまったく別の、「観賞用キャベツ」。掲出句は「寒牡丹」の有りようが、どこか「女性の生き方」に通じるものが有ると言っている。作者自身の半生を振り返ってみて、「女として生れ、女として生き、女として老いる」その「はかなさ」あるいは「頼りなさ」、あるいは「献身」が「寒牡丹」の定めに似ていると言っているのである。本当のところは、男である筆者には思い及ばぬものが有るに違いない。しかし「及ばずながら」想像だけは出来るような気のする一句であった。(本井 英)

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