『アスパラガス』読後感 (矢沢六平)

   第零句集『アスパラガス』を読んで

 快感俳句を読む快感

                   矢沢六平

 

木蓮の白さばかりが雨の中

 本井先生の序文によれば、この句は作者が高校生の時の作という。さぞかし驚かれたことだろう。端正で、立姿のすっきりと美しい、名優を見るかのような俳句である。

 これを、高校生が作ったなんて…。

 

 ただ端正なばかりではない。この句の真骨頂は『集中力』にある。

 雨模様という大きな景があり、その中の花咲く木蓮の木一点に、グーッとフォーカスが絞られていくことで、白さが際立った。際立たせることで、読者に強い印象を残すことに成功しているのだ。

 

 こうした、ある一点に「焦点を集めていける」集中力は、慶大俳句研究会の伝統であるのかもしれない。出身者の俳句にしばしば見られる特長で、文学的な俳句(人事ばかり詠むという意味で)一本槍の私などには、到底真似することができない。

 王道であり、研鑽の賜物であると思う。

 

 夏潮誌上で見て、ながく私の心に残る句があった。

 白い皿の上に(透明な)梨の水だけが残っている、という俳句だ。作者はもちろん、昇平さんであった。

真白なる皿に残りし梨の水

 白の上にわずかに残る透明に視線を集中させていくという、『フォーカス力』が、いかんなく発揮されている。印象的で、なんとも感じのある名句に仕上がった。

 

 写真の撮り方のひとつに、「ナメル」というのがある。

 ○○越しに撮る、ということで、その物体の先にある被写体をよりいっそう印象づける手法だが、言うなれば…

ブラウン管越しの男の赤い羽根

 という俳句が、ほぼこれに等しい。

 ある男の胸に付けられた赤い羽根に気が付いた時、それをテレビ画面の中に置くことで、視線が集中する効果を生み、きわめて印象的な「赤」になるわけである。

 

 ナメルのは、露出やら焦点距離やら、いろいろな適正値を算出した上で撮らなくてはならないので、素人にはなかなか難しい撮影方法の一つだ。

 次の句に注目してほしい。

 「指」を出してきたところが凄い。カメラでいうところの、「絞り」の役割を果たしているのだと思う。

アネモネの芯の黒きに触るる指

 

 指の先にアネモネを配置したことで、私たちの視線は、芯の黒へぎゅう〜っと集中していく。

 カメラのファインダーを覗いて、レンズリングを回していくと、やがてピントが合い、ぼやけていた画面がクッキリと像を結ぶ。あの『快感』が、この俳句にはある!

 花弁の赤と蕊の黒…。指…。蠱惑的、という以外の言葉を思い付かない。

 句集中、随一を挙げるなら、ぜひともこの句としたい。

 

 久々に「秒殺」されました。私の完敗です。

 私に、「ピントが合う快感」を堪能させてくれた句を書き写して、筆を擱くことと致します。謝々。

 

木犀の花降るところ土黒し

飛石に零れて軽し百日紅

緑陰の鉄棒の端錆びてをり

青梅の転がる先の青梅かな

ためらひの鋏を入れて鶏頭花

酉の市のおかめの頬にひそと影

水面に桜の像の結ばれぬ

花屑を転がす風の絶ゆるなく

鉄塔の尖の刺される冬の空

狛犬の脚に冬日の温みかな

アスパラの穂先で空に落書きす

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