花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第77回 (平成18年4月4日 席題 残花・朝寝)

空青く会津の城の残花かな   延魚 下の句「空青くて」。「て」は要らないと思いますね。真っ青な空に会津の城が見えていて、その周辺に残花があった。と言われてみると、会津という地名の持っている戊辰以来の我々の記憶、会津藩の記憶が出てきて、残花ということばが、単純な残花ではなくて、何か感じさせるものがあろうかと思います。
残んの花緑に紛れ散りにけり
面白いですね。葉っぱと言わずに、残んの花があるんだけれど、大分葉がちになっていて、その葉がちの中から、いまだにまだ残花がこぼれ止まないという、不思議な花のある時期をお詠みになって、うまい句だと思いました。
走り根の抱ける土にすみれ草
これは気持ちのいい景色です。走り根、根が張っている。なんでもいいんですよ。その根と根の間がくぼんで、柔らかい土があって、そこに持ってきたようにすみれの花が咲いてをった。きれいな景色で、景色そのものが俳句そのものになっているようで、いいですね。このような景に出会ったことが、喜ばしいことだと思います。
子らの声やむことなしに暮遅し
これもある春の暮の気分がよく出ていると思います。ここで提案ですが、「子らの声」は、もちろん十全の表現なんだけれども、むしろ僕は「子の声のやむことなしに」の方がいいように思えます。というのは、「子ら」というと、複数であることを最初から当然として出してきている。そつなく言えているのは事実ですが、「子の声の」と言えば、単数かと言えば、やはり複数を感じるんですね。そうすると、「子ら」と言って、水も漏らさぬ表現にするよりも、「子の声の」とした方が、アルページ(アルペッジオ)があるように、私には思えるんですが、これは一つの提案ということで、手を入れているわけではございません。
朝寝して今日は家居ときめてをり
いいご身分ですね。外出も家居も思うがままという環境の方が、今日は家にいましょう。と言って、家に居る。と言うんで、あるお年かさの方の暮しぶりというのがわかりますね。



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