花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第75回 (平成18年4月4日 席題 残花・朝寝)

逝く春を雨の音にぞ惜しみける
これは堂々たる句ですね。これは「近江の人と惜しみけり」と肩を並べる惜春の句として、いいと思いますね。特に「雨の音にぞ惜しみける」という係り結びが、実に美しい、あるリズム感を僕らに感じさせてくれる。「ぞ」の感じがいい。それから、逝く春の「逝」という字もいいですね。こういう字を書きます。春が死んでいってしまう。字面といい、リズムといい、今日はこの作者、お成績がよかったのは、むべなるかなという感じがいたしますね。
千鳥が渕の名残の花を見てゐたり
元の句「千鳥が渕名残の花を見てゐたり」なんですが、ちょっと屈折した内容には、リズムもちょっと屈折した方がいい。盛りの時には、あまりの人出に来る気もしなかった。もう大分人がいなくなっただろうと来てみたら、意に適う残りの花があった。人は皆花を見なくなってしまったけれど、私はこの花で、充分楽しいわ。と言って、あまり人気のない千鳥が渕に立ってをるということになるんですが、私は「の」のあった方が、字余りになさった方がいいと思いますね。
恨みもし賞めたりもして花の雨
大きく解釈が二つに分かれます。わるい解釈は、「花の雨が降っちゃって。雨だねー。」と恨んだりすることもあるし、「いいね。乙なもんだ。花の雨はいいもんだ。」と賞める。擬人化が過ぎていて、句がやや月並みになってしまう。言いたいことが見え過ぎてしまう。私の解釈は、ある人物に対して、恨みもするし、賞めもする。「あの人は辛い人だな。何とかして欲しいな。」と思うこともある一方、「本当にいいやつなんだ。」と思うこともある。そういう人物のことを花の雨の時に思っている。そういう、ある屈曲した人間関係が花の頃にあったと解釈するのが、解釈としてはよろしいんだと思います。
満潮の橋も艀も朧なる
今日快調のこの作者。これもいいですね。最初見えないんですね。橋があるんだなと川面を見ると、川面に水明かりがしていて、何か動いている。「トトトト」と、艀だ。何でこういう時間に艀が動くんだろうね。と思いながら、音も景色も朧の一晩であった。ということで、段々目が闇に馴れていくなかで、うすら明かりの月光が見えてくる。そんな句だなと思って、二昔、三昔前の大川の気分があると思いますね。
自転車を停めて警官花を仰ぐ
元の句、「花に対す」。これだと、ちょっと大袈裟なのと、「対す」という時には、ある水平面の中での同じ位置になりますから、「対す」となると、大分遠くの桜を見ている感じになる。人間の形が遠くの水平方向に向かって対しているのか、上を向いて、反り返っているのかというと、ちょっと体の固くなった四十過ぎの警官が、ちょっと反り返っている感じが、かえって滑稽にも見えて、警官も今日はすこしのんびりしたいという感じがある。ということで、句としては、「対す」より上等になるかもしれませんね。

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