花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第71回 (平成18年3月10日 席題 梅一切・涅槃)

蜆汁温め直す雨もよひ
いいですね。どう鑑賞してもいい。雨が降っているので、出掛けないで、お酒などつけてもらっている。どんどん雨が募ってくる。ご飯を食べようかなという頃には、汁が冷めてしまっている。ちょっと待って、温めるから。「雨もよひ」ということばには、いかにもこうしたしっとりとした感じがあると思いますね。元の句「雨もよい温め直さん蜆汁」。雨もよいが先にあると、「ちゃんと聞いていて。雨もよいよ。」という感じがしてしまう。さっき言った、説明になってしまう。「温め直さん」はいかにもリズムがわるい。また「直さん」と意志の助動詞を使う必要はない。掲句のようにすると、いかにも新派の一幕のような、だらしない酒飲み男が出てくるような気がしますね。
春水に映るものみな柔らかく
誰がこの句を作ったのかと楽しみにしていたら、作者が分かって、よかったよかったと思いますね。この柔らかい捉え方。何ともまあ、立子先生に通じるような、いかにも柔らかい、肩をいからせていない、それでいて的確に捉えるものを捉えていらっしゃる。そんな感じで、この句を見ると、向島百花園の木の杭のある、映るものが柔らかく見える景を見るようなことを想像しながら、この句を拝見しました。とくに「映るものみな柔らかく」と言いさしたあたりが、いかにもいいなと思いますね。
花房の揺るるミモザに満つ朝日
ちょっと下五の「満つ朝日」が窮してまして、「満つ」は要らないかもしれませんね。「朝日さす」でいいのかもしれませんね。「満つ朝日」で、ちょっとつづまってしまう。さっきの二日さんの句の時に言いましたけれど、俳句はたった十七文字で、ぎゅっと詰まっているようだけれども、中はけっこうゆったりと詠んでいける。「満つ朝日」というは、作者が言いたいというのが、外へ出てしまっていて、その分、損していると思います。ただし「花房の揺るるミモザ」という言い方は、昔は切り花しかなかったのが、近年はミモザを植える家が多くなってきて、こういう景が普通になりましたですね。
咲き満ちて閑かなる梅夜となりぬ
いいですね。今日のこの作者の句ではこれがいいですね。単線もよかったけれど。ただ、元句の「寂」を書いて、「しずか」と読むかしら。ちょっと気をつけないと、いわゆるルビ俳句になってくる気がする。つまり読まない字を、わざわざルビふって、その間の意をニュアンスで出してしまおうという、ちょっとずるい。閑居の「閑」、それなら「しずか」と読めますから、この字になさるといいかもしれません。いかにも、ああ、夜になってしまった。梅は特に夜の梅。江戸時代以来、闇の中の梅の香りを楽しむというのは、たしかお菓子の名前にもなったと思いますけれど、江戸時代以来の美学なんですね。それをまたこういうふうに詠まれてみると、ああ、なるほどな。と面白いと思いました。
まんさくの無精髭めき咲き満てる
あまりきれいじゃない。いかがなものかという感じがしなくもないんですが、そこを詠んでみたというのが、面白いですね。


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