矢沢六平『秋高し』鑑賞 (青木百舌鳥)
物見遊山の群集を左右に割って巨大な「本宮一之御柱」が曳かれてきた。もう3年ちかく前のことだが、今も鮮明に思い出される。歓声のなかラッパが鳴り響き、木遣りが高らかに唄われると掛け声をそろえて大綱が曳かれ、ついには御柱が動く。そのメド梃子の先に山吹色の装束を纏った矢沢六平さんの姿を見つけた。さぞや荒くれた形相をされているかと思って目を凝らしたが、山吹色のおんべを振る六平さんは実に和やかな笑顔をしていた。「すごい人だ」と感じた。
その御柱祭の折、夏潮の東京組にご自宅を宿として提供してくださり、そのお蔭で僕らは御柱祭を安心して存分に楽しむことができた。夏潮会においては諏訪支部長でもあり、作者としても会のキーパーソンの一人である。行雲流水の風情を漂わせながらも、豊かで繊細な感性と人情味を持ち合わせた、不思議な魅力のある人だ。僕はその厚情に甘えてちょいちょい諏訪に立ち寄らせていただいている。
銅像に人だかりして秋高し 六平
本句集巻頭の句であり、高校生の頃の作者がこの先の俳句人生を送るきっかけとなった句だという。待ち合わせ場所になるような銅像に、待ち合わせの人々がたかっていて、自分はその人々と距離を置いて銅像を眺めている。銅像の周りには色づき始めた樹々がさやぎ、空は青く、高い。作者はそれを眺めつつ、ゆったりとした気分で待人の現れるのを待っている。
沓石におむすびほどの雪だるま 六平
「おむすびほど」としたことで、据えられた雪だるまの小ささと同時に、雪だるまをつくる手の動きも想像されてくる。子の手がつくったものか、または大人が子に作ってみせたものかも知れない。
赤いべべ着ておつくべや雛祭 六平
幼子の雛祭。「おつくべ」とは正座のことだが、促されて「おつくべ」をする幼子と、それを微笑ましく見守っている大人らの気配がある。六平さんの句には方言が比較的多く用いられているが、鄙の言葉を採集するということではなく、日常の言葉として用いる姿勢が保たれており、一方で読み手から見て不可解になったり、方言の乱用と映らない、いい塩梅にその言葉が供されていて楽しい。
祝はれてアイスクリンが好物で 六平
この句も同様だが、「アイスクリン」が方言なのかは知らない。ともかく「アイスクリン」と呼んでいるお婆ちゃんということで十分だろう。米寿だとか卒寿だとかのお祝いの席を詠んだ句。お祝いに集まった家族が、お婆ちゃんの身体を気づかったりしていることまで想像される。
発せられたままの生の言葉を大事に取り扱う姿勢は、句の登場人物たちを作者本人が愛していることに起因しているのだろうと思う。
猫の仔を鷲摑みしてよこしけり 六平
そうこう会話した後、子猫をもらうことになった。数匹の子猫の中の、気に入ったその一匹を指さしたのかもしれない。「持ってきな。ほら」と鷲摑みにして子猫をよこされた。飼主と作者の、子猫に対する心のあり様のコントラストがよく見える句である。とはいえ作者に飼主を咎める気持ちは無く、それもまた面白い。
もう一人二人居るらし夜釣りびと 六平
夏の夜、涼みがてらということで夜釣りに出向いた。水辺は予想以上に暗く、足元も覚束なかったが、人の姿が見え、その人の隣に竿を延べた。涼しいのは涼しいがちっとも釣れないねと隣の様子をうかがうと、やはり釣れていない。しばらくすると物音がした。釣れたのかなと隣を見るとそんな様子も無い。その向こうにも人がいたらしく、何やら気配がする。
漬茄子の潰されながら切られけり 六平
「そうそう、そうだよね」と言いたくなる句。よく汁を含んだ漬茄子の艶、切られるときのじゅっという音、茄子の肉の断面などが思い浮かび、すぐさま飯を炊いて漬茄子で食べたくなる。私のような中年男にはたまらない風情で、「漬茄子」が直に感じられる。
藁塚にまだ新しき革財布 六平
この句も質感のある句。嘱目だろう。作者には手触りのある句も多く、それを大切にしていることがうかがえる。
雨合羽脱いで涼しき大庇 六平
蒸し暑さから開放された心地よさが、大庇の広がりとともに伝わってくる。雨に洗われた青葉の色も感じられるようで、爽快さがよく表現されている。
暑気中り奥の座敷の暗がりに 六平
仲間の一人が、どうも具合が悪いと涼しい奥の座敷に横たわった。大したことないと言うので離れたが、ふり返ると座敷は暗がりとなっていて中の様子は見えない。その暗がりの中の人の身を案ずる心境がよく伝わってくる句。
なつかしき祖母の小言や柿熟るる 六平
今はもういない祖母が元気であった頃からある柿の木を眺めているのだろう。枝に残されて垂れるままになっている熟柿を仰ぎながらの感慨。作者が幼少期にはその木に登ったりもしただろうと想像されてくる。
行秋や逢へばいささか老けてをり 六平
見送るや秋日の当たる肩背中 六平
久しぶりに会った友人は、記憶にある顔よりいささか老けて見えた。自分自身も友人の目には老いて映っているのだろうか。話してみれば昔のままの友人である。そう感じながらお互いの人生の時間を大事にし、楽しもうとする姿勢が「行秋や」の感慨によく表れている。
「見送るや」の句では、友人との楽しい時間が過ぎ、その友人を見送る作者の情が下五の「肩背中」の措辞からひしひしと感じられる。
全編を通して作者・六平さんの人情味がよく伝わってきて、しみじみと良い句集だと感じた。読んでいると六平さんと会って話しているかのような感じさえある。
第一句集の上梓を楽しみにしております。