季題は、「野分」で秋。秋に吹く強い風の事を言う。野の草を吹き分ける風という意味だそうである。広辞苑などの解説には、台風の事と説明されるが、虚子編歳時記において「台風」は別の題として立てられている。違いは、野分はやはり「風」そのものをさすことだろうか。
さて、この句。改札口を出て、ホームに出てみると野分が吹き溢れているという。なるほど、改札には屋根があり壁がある。駅によっては、立ち食いそば屋すらある。しかし、東京や福岡といった終着駅でないかぎり、ホームは吹きさらしだ。風は容赦なくホームを吹く抜けてゆく。野分のためダイヤは乱れてしまっている。後は、止まってしまわないことを祈りつつ電車を待つ他はない。そんな景色が目に浮かんだ。
ただ、野分が風そのものをさすとすれば、「野分風」の「風」は余計なのかも知れないと思った。