花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第62回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣) « 夏 潮

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第62回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣)

探しもの手伝ふことも去年今年
これもいいですね。誰か年末の最後の時に、鍵かなんか探している。あなた、なんか落ち着かないわね。もう除夜の鐘が鳴っている。なんの、なんのと言って探している。という、なんか同居人という感じがして、面白いですね。
金柑の微笑むがごと煮えにけり
いかにも○○さんのお句ですが、金柑が煮えてきた時の色合いといい、ふくっとしてきた感じといい、それを微笑むとなさったところが、いかにもご自分のフィーリングで句を作っているという感じがして、いいと思いますが、いろんな言い方がありますね。掲句のようでもいいし、「金柑の微笑むごとく煮えにけり」。どっちがいいでしょうね。「がごと」より、「ごとく」と言い切った方が詩になるかもしれない。さっき言った、最後のブラッシュアップ、どちらにするかですね。
畝に濃く窪には淡く畠の霜
なるほど畑の霜の降り方を見ていると、畝の高い所に濃く、低い所には霜が淡かったというのは、一つの発見だろうと思うけれど、「窪」と言うかどうか。「畝間に淡く」とした方が、句としてはリズムもいいと思いますね。ことに「窪には」の「は」は説明っぽくなってしまいますね。
暗渠なる路地を福神詣かな
これ、いいですね。昔は小さな溝川が流れていて、その溝川のあっちこっちに、寿老人だのなんだのあって、七福神詣の道がのんびりとあったんだけれど、すっかり都市化が進んでしまって、もう昔の溝川もない。暗渠になってしまっている。その暗渠が道として使われ、路地が交錯している。そんな昔の面影を失っていくことへの寂しさの籠った、福神詣だと思いました。
大雪に籠りて静学問す
最近は学問が産業と結びついたりして、開かれた学問が当たり前の世の中になっていますが、もともと学問というのは、世間から遠い、事実から離れた所にあるのが、学問。そんなことを考えると、「大雪に籠りて」いうのは面白いと思いましたね。「松虫に恋しき人の書斎かな」という虚子の句があります。これも書斎に籠った主人公。そんな感じがあって、学問の厳しさが伺われると思います。

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