花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第61回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣)

寒鴉胸膨らませそこに居り
「そこに居り」がいいですね。「をりにけり」でも句にはなるんですけれども、「そこに居り」だと、ずいぶんと近いところにいた。人間同士、あるいは人間と動物の間にある距離があって、それ以上近づかない。その時に人間と鴉のあるべき距離を超えて、ごく間近にいた。「そこに居り」に、この句の実在感があって、面白いと思いました。
あの用事この用事して日脚伸ぶ
いいですね。ちょうどこれから二週間くらいが、「日脚伸ぶ」頃です。立春になってしまうと、もう「日脚伸ぶ」とは言わない。冬の終わりの頃に、ちょうど日の暮が段々遅くなり始める。日の出はまだどんどん遅くなる。日の入も遅くなる。冬至は日の出ているのは、一番短いんだけれど、日の出の時間は二月近くなった方が遅くなるし、日の入が一番早いのは、十二月の第一週か第二週。そのずれを俳人は知っていて、「日脚伸ぶ」という季題を作った。冬がもう終わろうとしている、ああ、やれやれという気持ちがどこかにあります。「日短か」の頃には出来なかったんだけれど、「あの用事も、この用事もすんじゃったわ。」という、主婦ならではの句だと思って、面白いと思いました。
山の湖の氷凸凹陽を受けて
何処でしょう。榛名湖とかね、赤城の大沼とか、そんな山の上の火口湖を想像します。朝の早いうちはぼーと氷の表面が見えるだけなんだけれど、日が差してきてみると、存外凸凹していて、そんなに真っ平らではないということに気がついた。もちろん穴釣をする人などもいて、凸凹だったという、一つの発見ですね。この句、掲句のようでもいいし、「山の湖の氷凸凹朝日受け」でもいいです。「朝日受け」とすると、さっきの僕の解釈の一つの「夜のうちはわからなかったけれど」といった感じがあるかもわからない。
満面に初日や君が御笑顔
としなくては。元の句、「満面に初日や君が御顔」。「みかんばせ」「おかんばせ」でも変だから。日の出前から初詣にいらしたんでしょう。そして初詣を終わって、下向道を歩き始めたら、ちょうど初日の出る時間になって、その初日を顔全体に受けた、君の顔がいいなあとしみじみ見たということだろうと思います。
持ち歌は妻を娶らば屠蘇の宴
屠蘇の宴ということで、新年会だということがわかります。忘年会というと職場とかが多いけれども、新年会か屠蘇の宴というと、家の長者を中心に一族郎党が集まる。おじいちゃん、おばあちゃんがいて、孫達がいる。兄弟がいる。従兄弟がいる。そんな中で大分お年を召した方が、普段は歌わないんだけれど、歌えというと、かならず与謝野鉄幹の「妻を娶らば」の歌を歌う。

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