真白なる皿に残りし梨の水 原昇平(2013年1月号)

季題は「梨」。一昔前は長十郎、二十世紀などという品種が幅を利かせていたが、近年では「幸水」、「豊水」などという名を耳にする。いずれも大きく、甘く、水分たっぷりという方向に改良されているもののようである。

さて掲出句は梨を食った後の「皿」を写生している。真っ白な皿に、よく見ると「梨の水」が少々残って見えるというのである。おおよそ梨は四つ割にして皮を剥いて、芯の部分を抉って「皿」に載せ、小型のフォークなどが添えられる。「皿」に残った「梨の水」は実際は「果汁」であるのだが、透明で「水」と見えるのだ。それが「真白なる皿」に少量残っている。いかにも「ありそうな」、「普通の」景として面白い。無論、その梨が迸るような「果汁」を包み込んでいたことも想像される。(本井英)

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