冨田いづみさん『島』を読んで 石本美穂
「思ったことをそのまま、鼻歌を歌うように、句を作る。」(あとがきより)
やりたいと思っても、だれもが簡単に出来ることではない。言葉に凝ってはいない、でも、ただ素直に作っているのとも違う「まとまり感」のある句。景がぱあっと目の前に広がる。句集紹介で祐之くんも「リズム」に触れていたけれど、いづみさんの持っている天性のリズム感が、見たもの、思ったことを自然に五七五の形にして言葉を生み出しているのだと思う。
秋風にいしやきいもとはらのむし
『島』の第一句。俳句を始めたとき、「ともかく作ってみた。」ともあとがきに書いているいづみさん。五七五そのものを楽しんでいることが伝わってきて、私も楽しくなる。
えんぴつのらくがきのありおひなさま
すべてひらがなであることも手伝って、小さな女の子と、鉛筆を握る小さな手を思い浮かべながら、いまは大人である自分が、おひなさまを手にとって懐かしんでいる、という景。おひなさまのひとつの真情が伝わってくる。
番犬のへたりと座る暑さかな
わんっ!と吠えられたかとおもったら、へっへっへっへ、と舌で息をして、そのままそこにへたっと座り込んだ犬。犬も暑いんだな。あんな毛皮着ていたら、余計に。
ほんとうに、見たままそのままが、季題とともにまとまった一句となっている。
すんなり読み手の心に入ってくるのが心地よい。
うさぎちよとななめに跳ねて春の月
猫の鈴ちろろと逃げて冴え返る
倒木の割れし腹よりひこばえす
鉄線の恋占いのやうに散る
母に会ふ母のお古の日傘さし
ご主人に、「母のお古なの」と言いながらうれしそうに日傘をさしてでかけていくいづみさん。待ち合わせでお母様がその日傘を見て、うれしそうに「あ、それ、お母さんのね。」いづみさんも、ふふっとうれしそうに「そう。お母さんの。」小津映画の一コマのようで、日傘がきちんと句の中心になっている。
フリージア音符のやうにつぼむかな
春泥をぬんぬん踏んで登山靴
月島のたひらを歩く暑さかな
しあはせは半分こする冷やっこ
初蝶の日なたに夫と待ち合はす
豊の秋ばんばの尻のまどかなる
一緒に吟行していると、私が句材を拾えずあっさり通り過ぎた場所で、いづみさんはじっと立ち止まり、句帳を開いている。集中力もある人なのである。
季節が良くなったら、府中競馬場あたりで吟行をぜひ、ご一緒したいなぁと。。。