句集『島』鑑賞 稲垣秀俊
冨田いづみさんは、平成十年、本井英主宰と同じ慶應義塾志木高校に勤務なさっていた縁で俳句の世界に入られた。現在は俳人協会にも所属されている。
本句集の表題は『島』であるけれども、句集前半では家庭の周辺、特に食卓について詠まれている句が多く、作者の句作における興味の入り口がそのあたりであったことが窺える。
土用鰻父退院の日なりけり
しかられて少し嬉しく秋刀魚食ふ
秋刀魚焼く母大根をおろす父
上記三句はいずれも温かな家庭の情緒を備えていて、構えるところがなく素直な詠みぶりである。こうした柔らかなタッチは本句集に一貫して見られ、たとえば寂莫たる流氷の景であっても、作者にかかれば丸みを帯びてくる。
流氷のきゆうきゆう淋しそうに鳴く
後半では、作者の眼差しがより広い範囲に向けられているようだ。一句ずつ句評を試みる。
すすきの穂するするつかみ尾根歩く
標高1,000mに足りぬほどの低山であろうか、尾根に生える芒の穂を掴むともなく掴みながらの山歩きである。擬音語の効果により、作者の軽やかな足取りと、延いては秋の稜線の清々しさが伝わってくる。
オレンジの尻がぼうんと雀蜂
スズメバチをよく見かけるのは晩夏から初秋であると雖も、蜂は春の季題である。「尻がぼうんと」というのは腰の細さに対比しての表現であろう。腰細といえば美人の形容であり、またジガバチの俗称でもある。スズメバチは、ジガバチよりか随分グラマラスな体型であるから、特に飛翔中は腹部の量感が目立つ格好になる。働き蜂が全て雌であることも考慮に入れれば、本句の表現は適切である。
パドックの馬の歩様も秋日和
好晴の競馬場の景である。勿論馬の歩みは調子次第であるから、そこに秋日和を感じるのは気持ちの問題であるけれども、競馬場の広さと、この季題の伸びやかさが調和し、説得力を保持している。
島風と思ふ秋風かと思ふ
島内を歩く作者に一陣の風が吹く。はじめは何気なく島風と認識したものが、あとになって、「いや今の風には秋の色があった。やはり秋風か」と思ったということであろうか。春風や北風では、吹いた傍から認知できるためこういう情緒はない。秋風らしい句であると思う。
稲垣秀俊