亡き後も生ふらむ蕗の薹摘める 伊藤八千代(2012年6月号)

季題は「蕗の薹」。春先にいち早く土中から顔を出す「蕗の薹」は誰からも愛されるが、特に俳人には人気が高い。必ずしも沢山収穫できなくても、それなりに香を楽しみながら食べることができるのも、喜ばれる理由の一つであろうか。さて一句は、その「蕗の薹」を摘みながらの作者の呟き。作者の住まいの近くに、毎年必ず萌え出て、作者が摘むのを楽しみにしている「蕗の薹」があるのであろう。去年も、この時期此処へ摘みに来た、一昨年も、一昨昨年も。ここに「蕗の薹」を摘みに来ることが作者の早春の楽しみの一つになっているのである。そしてふと「いつまで自分はここで蕗の薹を摘むことができるのであろうか」という思いが頭を掠めたのであろう。来年はまあ大丈夫であろう、再来年も何とかなる。しかし十年後となると自信はない。でもその十年後もおそらくこの「蕗の薹」はここに、同じように「生い出ている」ことであろう。そんな思いを心に抱きながら、作者は「蕗の薹」を摘み続けているのである。(本井英)

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