花鳥諷詠心得帖40 三、表現のいろいろ-15- 「切字 (命令形)」

終止形が「切れ」るなら、当然のことながら命令形も切れる。 しかも終止形より意志の表現が「露骨」だから、随分と主観的な句になるのは当然なところ。 そして『五百句』中には二句。これが多いか少ないかは議論の分かれるところであるが。

一つは、

一人の強者唯出よ秋の風 虚子

大正三年九月六日虚子庵例会。「句日記」には「小庵例会」とあるので鎌倉の虚子庵であろう。 同日作には、

秋風や最善の力たゞ尽くす 虚子

といった句もあり、随分と主観的な気分の句が並ぶ。 前月八月二十三日、日本は対独宣戦布告、つまり第一次世界大戦に首を突っ込んだ訳で、 句会の前日には青島の独逸軍を空爆している 。単純に考えれば戦勝の興奮が句調に反映した「命令形」とも言えようか。

いま一つの命令形は、

葛城の神臠はせ青き踏む 虚子

大正六年帰省の途次、堺に寄って、白鳥吟社主催堺俳句会に出席。 泊雲、泊月、躑躅、浜人、月斗、一転、桜坡子等関西の代表的作家、及び関東から島村はじめを帯同しての 俳句会であった。 こちらも虚子をして強い句調となる興奮はあったのであろう。

大正二年、俳壇復帰を宣言して、まだ四年目の関西での俳句会。 この旅行で立ち寄った下関での一日を綴ったのが「下関の一日」だが、新傾向の一団が虚子を訪ねている。 闘志を漲らさねば新傾向に押し潰されてしまう、そんな時代の興奮だった。 ところで多くの方が誤解なさって「命令形」のように解釈されている句に、

木曽川の今こそ光れ渡り鳥 虚子

がある。 虚子が木曽川に向かって「光れ」と命じているのだ、との解説を現に見たこともある。 しかしこれは「係り結び」。 つまり「ぞ・なん・か・や」と係れば文末を連体形で結び、「こそ」と係れば文末を已然形で結ぶ、あれだ。 即ち「こそ」が無ければ「木曽川の今光る」となるべき所。

同様の例では、

新涼の月こそかかれ槇柱 虚子

これも「こそ」が無ければ、「新涼の月かかる槇柱」となる。 そう言えば古い寮歌に「月こそかかれ吉田山」というのもあった。 考えてみれば実は上記「係り結び」も立派な「切れ」にはなっていて「今光る」では前々回述べたように、 連体形と同じ形になって、「切れが悪かった」のが、「こそ光れ」でバサッと大きく「切れ」ることになった。 勿論「槇柱」の句も同様で、今まで紹介して来た、「や」、「かな」、「けり」、終止形、命令形、などと肩を並べて 立派に「切れ」の要素になっている。