花鳥諷詠心得帖38 三、表現のいろいろ-13- 「 切字(用言の終止形)」

いくつかの「切れ」を検証してきたが、用言の「終止形」も当然「切れ」を表す。

霜降れば霜を楯とす法の城 虚子
は「す」というサ変動詞の終止形ですっきり切れているし、
我心或時軽し罌粟の花 虚子
は形容詞の終止形「軽し」で切れる。

こうした「終止形」の切れは『五百句』中に動詞、六十二例。形容詞、二十三例。
数量的には「や」・「かな」に次ぐ数の多さで、切れの定番とさえ言える。
「や」・「かな」・「けり」のように目に見えやすい形はしていないが、「切れる・切れない」という観点からは
存外重要だし、現実の推敲場面などでは連用形、連体形といった選択肢もあり、微妙な問題だ。

例えば前掲の、「法の城」の場合、
霜降れば霜を楯とし法の城
という形も表現的には成立する。
しかし、その場合は、「霜が降っているからして、その霜を楯として、法の城を」、「守らんとす」の
「守らんとす」が省略されたものとして一句は表現されている。
原句では「霜が降っているからして」、「我は霜を楯とする」、「この法の城を守るために」となる。
どちらも成立するものの、流石に「霜を楯とす」のシャープな「切れ」は、「法の城」を視覚的にも屹立させて
見事である。

同様の中七が動詞終止形で切れて、下五が名詞あるいは名詞句となるパターンは少なくない。
船に乗れば陸情けあり暮の秋   虚子
目つむれば若き我あり春の宵   々
ほつかりと梢に日あり霜の朝   々
栞して山家集あり西行忌   々
土佐日記懐にあり散る桜   々
飛騨の生れ名はとうといふほととぎす 々
倏忽に時は過ぎ行く秋の雨 々
顔抱いて犬が寝てをり菊の宿 々
白雲のほとおこり消ゆ花の雨 々
奈良茶飯出来るに間あり藤の花 々

ところで、これらを見て面白いことに気付かれた方もあるだろう。
十句中七句が「あり」「をり」の、所謂「ら変動詞」であることだ。
それに九句目の「消ゆ」を加えた八例は、動詞の終止形と連体形が異なる形をしている。
つまり、「終止形」が際だって、はっきり「切れる」のだ。
残りの「飛騨」と「倏忽」は内容から終止形でなくてはならないが、四段動詞などは
実は終止形と連体形が同型であるために、「切れ」ているのか、「切れ」ていないのか
判然しない場合が少なくない。その辺りを次回は考えて見よう。