花鳥諷詠心得帖36 三、表現のいろいろ-11- 「切字(けり)」

本題に入る前に白状一つ。

前々回だかに「や」の話をした序でに自分の句に「や」の少ない言い訳を書いて置いた。
ところが今回の「近詠」二十句、なんと「や」が七句も登場してしまった。
出句全体のの三十パーセント以上である。
近時「桜山より」執筆の影響で知らず知らず「切字」の使用頻度が上がっていたのであろうか。
なんとも不思議な気分でいる。

さて今回の切字は「けり」。古文では「詠嘆の助動詞」として盛んに使われている。
同じ助動詞の「き」が「直接体験の過去」と言われるのに対して「間接体験の過去」などとも呼ばれる。
古来「や」「かな」に次いで代表的な切字とされており、一件落着の折りに「けりが付いた」と言うのは
この切字の「けり」を念頭に置いての言い回しだ。

『五百句』に登場する虚子の「けり」は総数三十カ所。
時代的にもほぼ均等に出現する。
桐一葉日当りながら落ちにけり 虚子
蚰蜒を打てば屑々になりにけり 々
夕影は流るる藻にも濃かりけり 々
雑炊に非力ながらも笑ひけり 々
など有名な句が多いのであるが、三十例中二十八までが句末に位置しているのであるが、
二句だけ中七が「けり」で切れているケースがある。
夏痩の身をつとめけり婦人会 虚子
僧遠く一葉しにけり甃 々
どちらも明治三十九年の作であるのも偶然か、必然か。

「夏痩」の句、「婦人会夏痩の身をつとめけり」でも一句にはなるが、これでは「婦人会とて」といった
若干辛い意味合いが消えてしまう。
中七を「けり」で大きく「切って」あるために下五の「婦人会」に「とて」の気分が漂うのだろう。
また「つとめける」として「婦人会」を連体修飾する語法もあろうが、「けり」の詠嘆の気分が削がれてしまう。
微妙なバランスで成功した句なのだ。

一方「僧遠く」の句はやや疑問が残る。
まず一句の景が浮かびにくくないか。寺の境内に、長く甃が伸びているのであろう。
遠くの方に「僧」の姿が見える。そして作者の近くに「桐一葉」がゆらゆらと落ちて来たのであろう。
「作者」は無理に描き出さなくてもよい。カメラのレンズがあるだけでもいいのだが。
それにしても「けり」で切った勢いを「甃」が受け切れていない。

この句前掲の「日当たりながら」と同日の作だが、もう一句、
門を入れば一葉しにけり高山寺 虚子
もその日の作としてある。
そして此方は判り易い。
「高山寺」に「けり」の切れを支えて全体を包み込む大きさがあるのだ。
句末以外で「けり」で切る事の難しさ、「や」や「かな」とは違うらしい。 (つづく)

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