対象への密着と自己凝視―藤永貴之句集『鍵』を読む_涼野海音(「火星」・「晨」)

 対象にクローズアップする写生を得意とする作家がいる。四Sの中では、「ひつぱれる絲まつすぐや甲蟲」の句で有名な高野素十。

 藤永氏もこのようなタイプの作家に属するのではないだろうか。それは次のような句からうかがえる。

  居並びてみな横顔の都鳥

 一瞬「あっ」と思わせられ同時に納得させられた一句である。季題に対する眼が養われていないと詠めない句であろう。大発見ばかりを詠むのが俳句ではない。

  波の端踏んで歩める恵方かな

 この句も先の句と同様に誰もが見逃しそうなところを詠んでいる。実作者としての経験から言えば、「波の端」という核となる表現に至るまでは苦労されたかもしれない。本句集の序文にあるように、やはり「季題の前にじっと佇んで」詠まれたのであろうか。

  夕立にちから加はり来たりけり

 掲句は「一物仕立」を十分に生かしている。上五から下五まで一気まで詠むことで、夕立が地を打つ迫力を再現している。

 さてこのような対象に密着する詠法は、自己凝視をして詠む姿勢にも通じているように思える。

  立冬と書くや白墨もて太く

 「書くや」・「白墨」・「太く」の「く」の響きが心地よい格調を漂わせている。それはいかにも「立冬」にふさわしく思えた。

  沈丁花鍵を取り出すとき匂ふ

 句集名の由来になっている一句である。跋で作者は語っている、「私は、いつも持ち歩いている鍵を、ふといとおしく思うことがある」と。日常生活への慈しみが、そこはかとなくにじみ出ている。

  春月やわれひとり下り田端駅

 田端駅というと、新宿や池袋などのターミナル駅より、こじんまりしている。そんな雰囲気と春月がマッチしている。作者は帰宅途中にふっと空を見上げたのであろう。

 最後になるが、他に鑑賞したかった句をあげる。

  家の灯の遠くに点り鶴の村

  菜の花に観世音寺の甍見ゆ

  エイプリルフール一日中ひとり

  鵯の声がさヽりて椿落つ

  母よりの暑中見舞の初めて来し

  さみだれやタクシーの待つ楽屋口

  踝のとんがりを蚊の刺しにけり

  男とも女とも見え秋の暮

  アスファルトに出てしまひたる葛の先

 

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