以前、「トリビアの泉」という番組が流行った。トリビアルは些末なことにこだわること。俳句では、たとえば「欠伸猫の歯ぐきに浮ける蚤を見し 原月舟」のような句が、トリビアリズムの極みであろう。
このような句の対極にあるのが町田優人氏の句である。季題の大胆な捉え方。これが『いらっしゃい』読後の第一印象であった。ここでは特に共感した句を紹介したい。
五月雨や闇夜どつしり身じろがず
「どつしり身じろがず」に、対象と向かい合うときの作者の心持ちも現れていよう。
顔中に霰あつめて滑降す
単に霰が降るのではない。「霰あつめて」に作者の主体意識が感じられた。どこまでも一句中で主人公であろうとしている。
金といふ色の中にゐ酉の市
「ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒 堀葦男」という句を思い出した。「酉の市」の句は背景に具象があるので、イメージが膨らむ。
初空に敷き広げたる都会かな
「神の視座」とでもいおうか、はるかなる高みで、まるで作者が都会を敷き広げているようだ。
蟲籠の乗り合はせたる夜行かな
蟲籠という季題にすべてを託し、人物を描いていない。夜行列車に静かな時間が流れている。
いらつしゃいまたいらつしゃい芒原
巧みな口語がリズミカルに繰り返されている一句である。私の深読みかもしれないが、揺れている芒の穂は、どことなく人間が手を振っているようにも見える。
赤ん坊をねかせるが如春の湖
「如」を用いた句は本句集に五句あった。この句は上五・中七から下五への飛躍が特に素晴らしい。「赤ん坊」と「春の湖」はまず頭の中では結びつかない。「如」を挟むことで一気に景が広がった。おそらく作者は眼前の「春の湖」から直感的に把握したのであろう。
このような非凡なる把握の仕方にぐんぐんと引き込まれた一冊であった。
(涼野海音 記)