花鳥諷詠心得帖12 二、ことばの約束 -4- 「仮名遣いの話(万葉仮名)」

前回の末尾近く、「旧かな」で「ワ行」で書きながら「ア行」で発音していた語について、発音通り「ア行」で表記するのが「新かな」であると紹介した。この辺をもう少し詳しく書いておこう。

例えば奈良時代の「実際の発音」というモノは現在残っていない。しかし奈良時代の言葉を「仮名文字(所謂万葉仮名、即ち漢字を表音的に借用したもの)」で書き表した文献(例えば「万葉集」)を具に調査すると「仮名文字」の使われ方に一定の「偏り」が観られ、それが当時の発音の実体に則っているのであろうことは想像できる。このことに気付いて奈良から平安初期の仮名遣いを解明したのが、元禄時代の学僧釈契沖である。

契沖は「万葉集」の研究をする中から、日本語の様々の語彙について、その正しい(あくまでも上代における)仮名遣いを究明した。それまでは、例えば和歌関係では「定家仮名遣い」なる仮名遣いが幅を利かせていたし、他にも発音の変化に伴って、表記まで揺れていた言葉が沢山あったのだ。この契沖によって「再現」された「仮名遣い」が「契沖仮名遣い」と呼ばれるもので、明治時代になって「歴史的仮名遣い」の名で学校教育に用いられて、「権威」を得たのだった。

そう言う意味では「旧かな」の確立と普及はそんなに古い出来事ではなかったのだ。
さて「ワ行」の言葉。
これらは大昔は「ワ行」独特の発音で言い表され、当然「ワ行」の文字で書かれていた。ところが中世に入ると、その発音はどんどん衰退し、「わ」の一音を残して(「わ」だけは現在でも「私」「渡る」のように、その命脈を保っている)、あとの「ゐ」「う」「ゑ」「を」はア行音で発音されるようになってしまった(「う」については、もっと早くからア行の「う」と区別がつかなかったらしい)。

次に掲げる言葉は本来ワ行だった音で、現在、ア行の音で発音されているものだ。

藍(あゐ)、居る(ゐる)、声(こゑ)、植える(うゑる)、十(とを)、 青い(あをい)、水道(すゐだう)、公園(こうゑん)、温度(をんど)

つまり我々は、これらの言葉については自分の発音に頼らず「綴り方」の「知識」によって書くことになる。こう言うと一見不合理のようだが、約束として成立したものを習慣的に使用するのが「正書法」であってみれば驚くには当たらない。しかも「漢字」で書いてしまえば問題はどこにも無い。従って水道・公園・温度など「字音仮名遣い」で苦しむ実際場面は訪れないのだ。


現代仮名遣いの原則は「一字一音」「一音一字」ということだが、助詞の「を」についてだけは「もとのまま」と不思議な妥協をしている。 (つづく)