「手紙」第2号_(杉原)

「手紙」第2号

 

「手紙」第2号

 

 「手紙」とは、何れも20代前半の生駒大祐、中山奈々、越智友亮が10月に創刊した同人誌。

第2号からは、20歳の福田若之が参加。

 「人と人を結び付けていく「手紙」」を目指しているようで、各人の評論を「手紙」の形で記しされている。

 第1号の発刊の際に越智は「手紙」の出版目的を下記リンクのように記している。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/10/blog-post_08.html

 第2号から「原則手渡し」を止め、広く世の人に読んで貰うという方式になったようである。

 今号では、福田さんが西原天気の『けむり』(https://natsushio.com/?p=2267)を、

中山さんが島田刀根夫(波多野爽波門で「落」編集)を、

越智さんが橋本多佳子を、生駒さんが四ツ谷龍さんの「むしめがね」19号(http://dzv00444.dtiblog.com/blog-entry-4211.html)を、

それぞれ読み批評を行っている。

 福田さんを除いて第1号から参加している三人の批評自体は特に「手紙」と言う形式らしさは感じられず、彼らが普段インターネットなどで書いている形態に近いものである。

 先々週ご紹介した「彼方からの手紙」も先週の「スピカ」もそうだが、インターネットを中心に自らの俳句や俳論を発表していた世代が最近紙媒体で己の作品を世に問うケースが目立ってきた。

 一つは、インターネットから総合誌などに彼らが取上げられるようになり紙媒体を出版しても一定の反響が得られる可能性が高いこと。

 二つ目の理由は、じっくり読んで貰うためにはインターネットの世界では限界があり、紙媒体に起し手に取って貰う必要に気付いたこと。

 三つ目の理由として、「出版」という行動に対するハードルが下がっており、費用的な負担も大きく無い選択肢も増えてきている事情もあげておくべきだろう。

 

 今回の彼らの発信が、「手紙」と言うインターネット、メールの普及により我々の世代の生活から遠のきつつある通信形態の名前を取っていることは大変意味深いものである。

 インターネットの世界と「手紙」の関係については、「週刊俳句」において西丘いぶきさんによる素晴しい時評がある。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/11/53.html

 

 さて、4人の俳句(各7句)から印をつけた句を紹介する

●福田若之「十月のゴッサムシティから」

コウモリ男霧ヲ切リ裂ク切リ刻ム

 (「ゴッサムシティ」は「バッドマン」に出てくる架空の都市)

 

●中山奈々「遊びたし」

水澄みにけり先生と遊びたし

 

●越智友亮「わたらせ渓谷鉄道より」

廃墟か歴史か冬たんぽぽの葉のかたし

 

●生駒大祐「白菜小話」

たそかれは暖簾の如し牡蠣の海

 

それぞれ個性的な俳句だが、個性を出す為に俳句の容量を超えるようなところまで勝負をしている印象。結果として「切れ」に対する意識が余り感じられなかった。

  個人的には、同世代と少し上の世代だけでなく、現在の俳壇や俳壇に関わらない一般の先輩方にも俳句を読んで貰った方が良いと感じている。その為に「結社」という存在は非常に大切であると思っている(人間関係が面倒くさいだけの結社もあるようだが)。

「手紙」問合せ先:letter819@gmail.com

 

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