花鳥諷詠心得帖6 一、用意の品 -6ー 「図鑑、双眼鏡、椅子」

「筆記用具」、「句帳」、「歳時記」、「辞書」と点検してきた「用意の品」。「熱心な俳人」の中には、吟行時に図鑑の類を携帯される方も見受ける。「植物図鑑」「鳥類図鑑」などなど、吟行先で名前の判らない花や鳥を見かけたとき、歳時記よりずっと正確に且つ明快に、花の名や鳥の名を教えてくれる。ところが困ることも無いではない。一言で言えば「正確」・「厳密」過ぎて詩情から遠のいてしまうことも起こるのだ。

眼前の植物の名が「ミヤマナントカソウ」とか「ハクサンナントカ」とか正確に分かってしまった為に、今度は一句の中にその正式名称が長すぎて入らないなんてことも起きる。図鑑に載っている正式名称は、近くの似た仲間との区別をはっきりさせる為にある。俳句には無用な区別も中にはあるのだ。

つまり図鑑の使い方を誤ると、却って俳句が作りにくくなる事もあると言っているだけだ。
正式名称などに囚われ過ぎない、文学的見識が必要なのだ。慶応の大先輩で長く「馬酔木」で活躍したOさんが、いつでも図鑑をお持ちになっておられた。ご一緒した折り、ふと「自然の真」という言葉が私の頭をよぎった。結論として、筆者は吟行に図鑑は携帯しない。

その他のアイテムでお奨めなのが、双眼鏡。亡くなった藤松遊子さんがよく持っておられた。筆者も近年、双眼鏡を首から提げて吟行することが少なくない。特に「鳥」などは双眼鏡でその姿を確認したり、細かい動きを観察するとぐっと親しみが湧いてくるし、「朴の花」や「栃の花」などが手に取るように見えると俄然嬉しくなるものだ。

最後にご紹介するのが「折り畳み椅子」。筆者は一時これを吟行時に愛用したこともあった。現在でもあった方が良いのだろうが、一寸嵩張るので持たぬことが多い。筆者の句作態度は、当初やはり星野立子先生の影響が強く、何となくゆるゆる歩きながら、目に見えた物でぱっと写生する方法だった。

これは感性が特別鋭い立子先生に許されるやり方で、外の人は虚子先生の教え通り「じっと眺め」「じっと案じ」なければならない、と近年気付いた。そこで比較的有効なのが、件の「折り畳み椅子」だ。肩から掛けて野山に出かける。これという季題に出会ったら、そこで椅子を広げて写生に移る。十分でも二十分でも脚が疲れる事はない。対象の季題の真正面、至近距離に自分を置ける訳だから、写生も正確で深くなるというものだ。ただし人気の無い、道ばたで「折り畳み椅子」に座ってじっとしていると、地元の人や通行人に怪しまれる心配がある。しかし、もともと手帳片手に、他人の畠や、庭を覗き込む「俳人」という人種は常に警戒の目で見られているのであるから、今更椅子に座ったところで、五十歩百歩のことではあるのだ。