季題は「燕(つばくらめ)」で春。「待合室」は鉄道のそれであろう。クリニックなどでも「待合室」と呼ぶようだが、「燕」が自由に出入り出来るらしいという状況からは「駅の待合室」を想定するのが妥当。ようやく営巣を始めた「燕」が巣のある駅舎に飛び込んで来て、待合室をグルッと一回りするような飛翔を見せて、巣に至ったのである。真っ直ぐ「巣」に着地することももちろん出来るのであろうが、周辺の偵察も兼ねて「一周」したものであろうか。本当の目的は分からぬながら、燕の動きを注意深く見ていた作者には、「そう」見えたのである。
「燕」には燕の事情があるであろう事を一方で想像しながら、ともかくも「燕」の動きを的確に描写し、伝えるところにこの句の興味はある。原因があって結果がある、といった理屈とは違う、「燕」そのものの行動が目に見えてくるのである。そこに一句の勁さがあった。 (本井 英)