海風はいつも冷たし花楝   藤永貴之

 季題は「楝の花」。初夏、独特の淡紫色の花を付け、遠くからでもそれと判る。さて、一句の眼目は「海風はいつも冷たし」。ここには、筆者の住む湘南の海とは明らかに異なる「海」が詠まれている。たとえば〈浪音の由比ヶ浜より初電車 虚子〉という句の場合、鎌倉で「浪音」がするということは、「海風」が吹いているということ。そのことは即ち「南風」が吹いているということで、真冬に限らず「南風」は常に温かい。即ち、「浪音」の句は、正月らしからざる「暖かさ」を背景にした句ということになるのである。つまり逗子・鎌倉といった南に開けた海を持つ地域では、およそ同じ傾向となる。一方、海が北にある場合は、これが正反対なのである。富山湾でも博多湾でも海から吹く風は必ず「北風」。そして、ほとんどの場合「冷たい風」となってくる。ことに「楝の花」の咲く初夏には、一層「冷たし」の感覚が強いのであろう。ところで、いま筆者が縷々述べたようなことを作者は考えて作句したのではなかろう。作者は「実感」を詠まれただけ。そこにこそ「花鳥諷詠・客観写生」の真髄があるのだと思う。俳句は「伝えるもの」ではないのである。(本井 英)

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