杞陽忌の時雨れ時雨れて暮れゆけり  遠藤房子

 季題は「杞陽忌」。十一月八日である。「時雨」も季の言葉としては「重い」が、期日限定性の強い言葉の方が季題としてはより強い。さらにこの日は、およそ毎年「立冬」の日に重なる点も特徴的である。そんなことからも「時雨(冬の到来を表す、時の雨)」との縁が深いと言えよう。また実際、三十回忌まで継続されていた「杞陽忌」の当日に「時雨れる」ことも少なくなかった。

 「杞陽忌」の当日、その頃らしく日本海の沖から、円山川を遡ってやって来る「時雨雲」が、朝から何度も「雨」を零しては上がり、ふたたび降っては止むことを繰り返したのであろう。「時雨れ時雨れて」は漠然とした畳語表現ではなく、実際に「何度も何度も」の謂である。そして暮れ方となり、とうとう暗くなったというのである。

 杞陽に〈花鳥諷詠虚子門但馬派の夏行〉という名吟がある。決して大人数ではなかった「但馬派」の人々の、今に至ってもなお、先師の教えを奉じてけっして「ブレない」花鳥諷詠の真髄に触れるような句と言える。何日も前から「その日」を待っていた人々の、「その日」の過ぎて行くことを淋しく見送る「心」が滲む。

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