鴨の群投網のごとく着水す        山本道子

 季題は「鴨」。俳句を作るようになる前は、「鴨」といっても漠然と冬の水鳥で、葱を背負ってきて食われたりもする、といったほどのものであったのが、毎冬、水に浮かぶ彼らを写生するほどに、マガモあり、尾長鴨あり、ヒドリ鴨あり、キンクロハジロありとなっていく。俳句とはこの世の中に「お馴染みさん」を増やしてくれる、有り難いものだとつくづく思う。この作者もそんなことを思いながら「鴨」を写生したのであろう。

 二十羽ほどの鴨が沼の上空を旋回したかと思ったら、にわかに着水体勢に入った。と見るうちに、ばらばらと着水。その微妙な拡がり方や速度から、あんな風に水面に落ちていくものを、水面の飛沫を、どこかで見たなあと考える。そしてかつて見たことのある「投網」の風景に行きついたのである。「ああ、あれだ」。俳句の生まれる切っ掛けの一つに、こうした符合がある。「ごとく」、「やうに」というあからさまな用語を極端に嫌う向きもあるが、それほど神経質になる問題でもないと、筆者は考えている。(本井 英)

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