神これを養ひ給ふ稻雀 鳥山一枝

 季題は「稻雀」。稲が稔ったころを見計らって、集団で飛来し、稲を食いあさる。この鳥害から稲を守るために、これまで日本人は悪戦苦闘を強いられ、「案山子」、「鳴子」、「鳥威」などの季題まで生まれたのであった。人は雀を憎み追い、雀は人を恐れる。〈雀らも人を恐れず国の春 虚子〉は昭和十一年渡欧の際の吟。虚子の脳裏には日本での「人と雀との」格闘が思い出され、一方稲作をしないイングランドの風土に思いをいたしての作であった。

 さてこの「雀」について考えるに、稲という作物を、人間のおこぼれとして享受するように、神によって作られたものである、とも考えられる。万物の創造主たる「神」を信じればそういうことになろう。

 「神これを養ひ給ふ」の文言がいかにも「聖書」の一節のように聞こえ、つい「アーメン」とでも言いたくなってしまう。考えてみれば(これはキリスト教的ではないが)「稻雀」もまた、我々人間と同じく造化の神によって、この世に生かされている存在には違いない。(本井 英)

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