夏草に沈んでしまひ花時計        玉井恵美子

 季題は「夏草」。いかにも勢いよく茂る草が目に浮かぶ。「花時計」は公園とか植物園に設置されているのであろう。どことなく西洋的な明るさ、朗らかさを感じさせる物。文字盤に見立てた斜面に、その時その時の花を配置して、そこを大きな針がゆっくり旋回する。

 ところが、その楽しい「花時計」の景色が、さまざまの理由で手入れが行き届かず、すっかり「夏草」に蔽われてしまった、というのである。勿論「針」はとっくに止まっている。「花時計」がそんな状態ということは、公園なり植物園の他の施設も、すっかりさびれ果てているに違いない。

 一句の表現上の手柄は「沈んでしまひ」である。「沈む」は本来液体の中に何かが没すること。低い場所に蟠る。そして上部は水平線のように同じ高さの面が蔽う。こう表現することで、見事に景が立った。

 大切なことは、おそらく推敲の果てに「沈む」という言葉に逢着したのではなく、「ふっと」口をついてでた言葉であろうというところだ。(本井 英)

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