児玉和子句集『白梅の家』(2009年6月) « 夏 潮

児玉和子句集『白梅の家』(2009年6月)

「夏潮」の創刊以来の運営委員でいらっしゃる、児玉和子さんの第一句集『白梅の家」(本阿弥書店 2009年6月)。


特集 児玉和子第一句集『白梅の家』(『夏潮』2009年9月号)

「個人を超えるもの」                    藤永貴之

 

 児玉和子さんの第一句集『白梅の家』には思い出深い一句がある。

待春の光を返す大河かな

 慶応病院へ本井久美子さんのお見舞いに伺ったときのこと。一通りの挨拶のあと何と声をかけてよいかわからずにいた私に、久美子さんはある句会報を見せて下さった。その中にこの句があった。

―待春の句、いいですね。
―そう、いいわねぇ。

久美子さんはそう言ったきりしばらく窓の方を眺めておられた。

私にとってはそれが生前の久美子さんとお会いする最後の機会となってしまったが、久美子さんは、あの時、あの窓に、「待春の光を返す大河」を見ておられたのではないか、そんなふうに思い返すことがある。そしてこの一句は、実は最初から児玉さんが久美子さんを励ますために作られたものだったのではと思ったりもする。

ともあれ、この十年ほど私は、「待春」といえば、また「大河」を見ればこの句を思い出し、あの時の光景を甦らせてきた。そのたびに私は、久美子さんや児玉さんと会って話をしてきたような気がしている。すぐれた俳句にはそうさせる力がある。

梅が香や松山鏡吾も持てる

 この「梅が香」は、亡きご母堂にまつわる児玉さんの個人的な記憶を含みつつ、「花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ古の事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる(『徒然草』)」といった一節をも思わせる。「梅が香や」の、もうそれ以外にはありえないというような切り出し方は、堂々としていて切ない。この句にはさらに謡曲『松山鏡』の世界と児玉さんご自身の実際の体験とが重ね合わせられている。このように本句集には、私的な経験が、古典の文脈や歴史の上に広やかな世界を獲得している句が少なくない。

腰越の郵便局に秋の雨
姨捨の田毎の田植用意かな

 などはその好例であろう。

母のことばかり思ふ日草の花
父と娘のテニス談義や夏木蔭

  読者には「他人事」として見過ごされそうな句かもしれないが、これらもまた普遍性をもつ。それは何といっても季題の働きによる。いずれも句集中の配列からして「母」「父」それぞれの在りし日の作であろうが、そのお二方が亡くなられてなお、句は輝きを増してゆくようにみえる。無常を生きる私たちにとって、本当に大切なものを繋ぎとめているのは季題なのだということを思いしらされる。作者幼少の「母」の記憶にまで遡っていくような「草の花」のなつかしさ。また「夏木蔭」の安らぎは、威厳の中に優しさを湛えた「父」の為人に通じてゆく。私のような、児玉さんのご両親を知らない読者をも魅了してやまない作品である。

鯰の眼右と左と見てをりぬ
薄氷の溶けて水面の薄埃

 こうした写生の王道をゆくような句もまた児玉さんの句の魅力である。このようなしっかりとした写生の眼、写生の技は、

黒松は囚はれの王苗木市

のような作品を生むこともある。「囚はれの王」とは児玉さんにしかできない斬新さである。にもかかわらず「黒松」が荒縄でがんじがらめにされたさまやそこを素通りする人やトラックなど、「苗木市」の混み合った情景が目に浮かぶ。俳句表現のオリジナリティとはかくあるべきではないか。個性は大きな個性でなければならない。

紺碧の冬空ありて水昏し
閾越え土間に届きぬ竹落葉

 景そのものが寂寥を帯びているように感じられる。この世界のどこかに存在しながら、見捨てられ、置き去りにされているような景。その寂けさに、私はアンドリュー・ワイエスの絵画を思った。

 児玉さんの句は多彩でしかもそれぞれが深い。それは児玉さんが、人を、季題を、古典を大事にしてこられたからにちがいない。私は、俳句に学ぶものとして何よりもまずそのことを心に留めておきたい。


 児玉和子さんの句集『白梅の家』を拝読し、まずその出版をお喜び申し上げるとともに、その内容の素晴しさに驚嘆した次第である。この作者、平素じっと黙考されている事がある。そのような折に迂闊にも質問をし掛け、慌てゝ言葉を飲み込むのであるが、すぐに笑顔で即答してくれるのだ。こちらの質問が完結していないのに、その答は実に的確でびっくりする。余程この人の左脳右脳はバランスよく配置されているのであろう。安定した落ち着きのある骨太な句があるかと思えば、愛情深いしなやかな句もあり、時には肩の力を抜いた淡々とした句など、実に多彩である。今回はそのうちの愛情深い一句を鑑賞させていただく。

豆飯や今日も試合に負けし子に     和子

少年の所属しているチームは残念ながら強いとは云えずよく試合に負けるのであろう。泥まみれの日焼けした少年が重そうな道具を担いで戻って来る。元来スポーツの持つ厳しさ愉しさを十分承知の母親は動ずる事も無く、健気に頑張ってきた少年に豆ご飯を炊いてあげるのである。白いご飯に緑の豆が美しく、家族の幸せな顔が浮びあがってくる。この句を鑑賞していると、古いアルバムを捲るように、いつのまにか、自分の過去の或る一刻にまでフィードバックし、懐かしさで一杯となった。過去ばかりではない。ヤクルトファンである私にとっていとおしいスワローズは、「今日も試合に負けし子」なのである。(酒泉ひろし)


月光をあびてまつ直立つてをり     和子   

月光を浴びて立っているものは何だろうか?

天心に掛かる冴え冴えとした満月。その中に屹立するもの。よしんばそれが何であれ、他のものは全て消え去り、静寂が支配する世界が浮かび上がる。

西洋では月の霊気にあたると気が狂うという話もあるとか。煌々と輝く月を見ていると、説明できない何かを人は感じとるのだろう。しかしこの句にはそのようなまがまがしさよりも、余計なものがそぎ落とされ心から浄化されてゆくような心地よさがある。全て洗い流され生まれ変わり、許されていくような快感。

「まつ直立つてをり」という措辞の力にわしづかみにされ、読者自身もその世界の中に引き込まれてしまう。ものみなをあまねく照らす月光により、等しく全てが浄化されていく世界が厳然と立ち上がる。作者の凛とした孤高の魂が感じられ、知らず識らず共鳴するものがどの人の心の中にもあるのではないだろうか。

読むたびに厳粛な、かつ穏やかな気持ちにさせてくれ、温かい力の満ちてくる思いがする。和子さんの心の一面を垣間見た思いがする。(山内裕子)


 竹の春石屋の庭は石ばかり     和子     

石屋の庭に石が置かれているのは考えてみれば当たり前のことだ。その当たり前のことを、まるで童謡のようなリズムに乗せて一句にされたことで実景以上に面白い景が浮かび上がってきた。「石屋の庭は石ばかり」と「石」を繰り返したフレーズからはゴロゴロと置かれた大小様々の石が想像される。水墨画のような趣のある「石と竹林」の取り合わせが「竹の春」という季題によって、青々とした色彩を得ている。硬質な「石と竹林」が秋の澄んだ空気の中に置かれたことで、よりくっきりと、より清らかに見えてくる。常に季題に真摯に向き合ってこられた和子さんならではの、季題の本情を知り尽くされた作品だと思う。

この句は平成六年十月の句会で出された一句である。全くの初心者だった私も同席していたが「竹の春」という難しそうな季題を見事に詠まれたことに驚いた。この日の記録によると英先生は選後の講評で「青々とした竹藪を後ろに背負う農家の佇まいに近い家。代々その地で石屋を営んでいるが昔は田舎の一軒家だったのだろう。庭には商売道具の高価な石が無造作にごろごろ置かれているような感じ」と話されている。和子さんからは「今日ここに来る為に乗った電車の中から見えた石屋を詠んだ」と伺った。車窓の景色を一瞬で切り取って句にされたことも作品に心地よいリズムが生まれた一因なのかもしれない。(梅岡礼子)


駅前のバレエスクール春夕べ     和子     

「春夕べ」は清少納言の『枕草子』にある「秋は夕暮れ」を受けて、春の夕べのよろしさをたたえた季題である。落日が消えた後もまだ紅を深めて明るく、日が長くなってきた喜びを感じるひと時である。

掲句の駅前はそれほど大きな駅ではなく、たとえば江ノ電のような小さな駅であろうか。昔、私の暮らした茅ヶ崎や、転勤先の仁川には駅前にバレエスクールがどういう訳か必ずあった。その頃は、食の細い子や体の弱い子達が少しでも体力がつけばと願って通っているのだと、母が言っていたような記憶がある。今時の母親はどのような夢を託して通わせているのだろうか。

バレエスクールへは低い階段をとんとんと上る。白壁は薄絹を掛けたような桃色に染まり、蔦の緑が絡まり、丸いお洒落な窓がついている。近所に住む少女たちが母親に手を引かれ、次々と明るいドアーの中へ入って行く。髪をきゅっとお団子に結われ、背筋をぴんと伸ばしたプリマが集まって来る。ほっそりした少女、ぽっちゃりした少女たちが学校から帰り、今日はバレエのお稽古の日。そんな時間帯であろうか。昔も今も変わらない幸せそうな風景である。

夢多き少女と春の夕べの風情がぴたりと合った、モネの絵のやわらかな色調を感じるようなお句であると思えた。(園部光代)


秋晴を南へ渡る蝶といふ     和子      

季題は「秋晴」。蝶は斑蝶で、おそらく大形の美しい浅黄斑ではないだろうか。作者は東京、あるいは長野あたりでご覧になったのでは?長距離を旅しながら北上して来た蝶が、やがて台湾、南西諸島へと帰る。千キロの長旅で、ほんの数パーセントの確率でしか帰ることのできない蝶の宿命を、作者はご存知だ。

眼前の蝶は、時に人懐っこく髪に触れ、また顔すれすれに飛んでもくる。蝶の美しい分だけその過酷な旅を想像すると、愛おしさはいや増すばかりだろう。作者が優雅に飛ぶ蝶を眺めている時点で、こころはいつしか蝶とのある種の不思議な同化に近いものに徐々に入って行くようなものさえ感じられる。

秋晴れの高く澄む空を思い、彼らの無事な長旅をそっと願っているかのようだ。「いふ」での切れは正に優しくまた強く脹らむ。句の持つ雰囲気からは、いいしれない

見sないでしょうか。作者は東京又幽玄を感じる。それは中七の「南へ渡る」の、其処に命がけの大きな旅が控えていて、人生とも重なる。生の強さとまた終末や、ものの哀れさを引き出すものがある。さらに同じ神より生まれた被造物同士の一つの内的パルスの発生して行く過程が無限の広さと深さで横たわる。その広さと深さに引き込む水平思考ができるものがこの句にはあると思う。(山口照男)


保線員らし向日葵を背に立てる     和子    

「旧満州鉄道の旅 六句」の前書きがある。

掲句は前書きのとおり、車窓の光景であろう。鉄道の沿線に人がある間隔でぱらぱら立っている。どの人の背後にも向日葵畑が続いている。季題「向日葵」から、背後に広がる広大な大地と太陽が見える。それらは普段日本で見るそれより遥かに乾いていて大きい。

「保線員らし」の「らし」から、鉄道沿線の人々が日本で我々が普段見る「保線員」と違う雰囲気を持っていることが判る。偏見を恐れずにいうと、これが中南米であればTシャツ=短パン姿。今の中国であるとすると「人民軍」のような「堅い」制服姿であろう。前書きがなければどちらの意味で解釈するかは読み手の「記憶の引出し」次第であるといえる。

この句は、この句集の他の句には無い句柄の大きさが現れていて、児玉さんの句の新しい境地を示すことになるのではないかと僭越ながら思い、選ばせていただいた。

ご存知の通り児玉和子さんは「夏潮」きっての「上手」であり、厳密な季題、字句の解釈で我々を啓蒙してくださっている。「旧満州」という日本と異なる「大陸」において、掲句のような五七五の容量の中で、無理なく風土にあったスケールの大きな句を作られたのは流石である。(杉原祐之)


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