潮騒を聴きながら(雑詠句評)」カテゴリーアーカイブ

布袋尊に晩白柚ある福巡り  山本正紀

 季題は「福巡り」。虚子編『新歳時記』には「七福神詣」として収録。傍題として「七福詣」・「福神詣」を掲出する。解説には、

松の内、七福神の祠を巡詣し、其歳の福徳を祈ること である。恵比寿・大黒・福禄寿・弁天・毘沙門・寿老人、 それに布袋和尚を加へた七神で、民間の信仰は中々厚い。東京では向島・谷中・山の手など特定の区域があるのである。

とある。角川の『角川俳句大歳時記』冬の部(二〇〇六年版)では、「福詣」・「一福」という傍題が追加されていて、現今ではそれらの傍題も通行していると考えて良いであろう。「一福」などやや安易なのではと思ってもみたが、その例句として〈一福も申し受けずに詣でかな 虚子〉という例句が掲げられており、やむなく口を噤んだ。中西夕紀さんの解説には、この風習は室町時代あたりから始められて江戸時代中期に盛んになった、とあり。東京では向島が最も古く、谷中、麻布、品川などの名が挙げられている。しかしどれも「格式」といったものとは縁遠い感じで、何となく「地域」で纏まって面白がっている雰囲気が強い。元来「七福神」あるいは「宝船」といったもの自体が、さしたる権威があるようにも思われず、「七福詣」も正月に御馳走を食い過ぎたので、その腹ごなしに近隣を歩くのが目的である、などという合理解が罷り通っており、さして難しいことを言い立てるものでは無いらしい。七箇所のお寺を巡ると言っても、必ずしも「ご本尊」というのでもなく、中には「ぺらっ」とした掛け軸だったりもする。

 そんなお気楽で楽しい「七福詣」の「布袋様」のお寺には立派な「晩白柚」が生っているというのである。「晩白柚」といえば熊本の特産。もともとは東南アジアからもたらされたともいう。そんな楽しいものを育てる和尚の人柄も思われ、橋を渡ったり、墓場を抜けたりの楽しい「七福詣」も想像される。(本井 英)

ばば様のお部屋の前の実南天 宮田公子

 季題は「南天の実」。「南天は十月頃から丸い深紅な実を房々と垂れて花の乏しくなりかけた庭を飾る」と歳時記にはある。西洋のそれらとは異なるものの、ある「華やかさ」に包まれたものと言えよう。「ばば様」はその家の「刀自」、先代の主婦であり、当代の母上といったところであろう。わが日本は、もう何十年も「核家族」化が進行して、かつてのように一つの家に何世代もの人間が暮らすことが無くなってしまった。「良い悪い」ではなく、そのような選択をした結果であるから仕方がないのだが、その影響で「さまざまな暮らしの場面」は激変した。この句の「ばば様のお部屋」など、あまり見かけないものの一つだ。所謂「隠居所」・「隠居部屋」。狭いながらも小庭に面した「隠居部屋」では「ばば様」が静かに、縫い物をしたり、新聞を読んだり。必要な折には広間にも出張って来るが、普段はいるのか、いないのか。子供達も「ばば様」の「お部屋」の前は静かに通り過ぎるのが、「お行儀」だった。(本井 英)
					

極月の吊広告のハワイかな  山内裕子

 季題は「極月」。陰暦十二月の異称であるが、「十二月」というより、いかにも押し詰まった気分が強い。街の様子や、行き交う人々の表情にも、せかせかした慌ただしさが感じられる。また「吊広告」はほとんどの場合、電車あるいはバスの車内に吊すもの。昔は週刊誌の見出しなどが、ゆらゆら揺れていて、「吊広告」を眺めただけで、世間の「話題」が見えるような気がしたものだが、近年は、あまり見入るような「吊広告」にはお目にかからない。

 さて掲出句は、その「吊広告」に「ハワイ旅行」の案内があったというのである。おそらくは旅行代理店あたりのもので、ワイキキビーチを背景に水着の男女が楽しげに頰笑みあっているものであろうか。「極月」のセカセカした気分とは、全くかけ離れた、「夢のような」、それでいて、一ドル三百六十円の時代のような「憧れ」とは違う現実感をもって人々が見上げるものとしてぶら下がっているのである。世界に誇る経済大国であった時代を過ぎて、すっかり零落してしまった日本の現況を考え合わせるとき、なんとも言いがたい、皮肉な「俳諧」を感じさせてくれる一句となった。(本井 英)

橡の実のぱつかと割れて転がれる  山本道子

 季題は「橡の実」。虚子編『新歳時記』には、「栃の実である。円錐状をして三裂し、その中に光沢のある褐色の大きな種子がある。この種子から澱粉を採つたり橡餅等をつくつたりする。」とある。「橡餅」と言えば信州の観光地などでは、よくお土産などにされる品だが、あれは餅米などと搗き合わせた高級品で不味いわけがない。巴里の街路樹として有名な「マロニエ」は「西洋橡」。その実は日本の「橡」と同じ様な種子が入っており、まさに「マロン」なわけだが、毒があって食えぬ(灰汁抜きの技術がないと駄目らしい)ということになっている。フランスの「栗」は「シャテニエ」、こちらは立派な毬のある実である。

 その「橡の実」が橡の木立の下に、幾つも落ちていたのであろう。その「果肉」が割れて中の種子が転がり出ている様子を作者は「ぱつかと」と表現した。一句の手柄は勿論この「ぱつかと」であることは間違いない。「ぱかつと」、ではないのである。「ぱかつと」は「音」が主だが、「ぱつかと」は「姿」が主である。「種子」が転がり出た後の、空ろになった実の内側の曲面まで見えてくる。(本井 英)

書き了へて夜寒の膝へ自づと掌  前田なな

 季題は「夜寒」、秋の季題である。同じく秋の季題として「朝寒」、「やや寒」、「うそ寒」、「肌寒」、「そぞろ寒」があり、さらに「冷まじ」、「身に入む」という季題もある。春と共に、最も過ごし易い季節である「秋」にかげりが見えてきて、いよいよ厳しい、事によると命に関わる危険もある「冬」を迎えんとする「不安」が、これだけ多くの類似季題を生んだ原因に違いない。

 「夜寒」は、暖房が要るというほどでもないが、夜が更けるつれて肩から背中、あるいは足許辺りに「寒さ」を覚えること。作者は、何か書き物(パソコンのキーボードでは無く、筆記用具を用いて紙に記されたもの)をしていたのであろう。漸く「書き了へて」、静かに読み返している。そして「掌」は自然と両膝に置かれていたというのである。書かれたものは、ともかく襟を正して筆記すべきものであったに違いない。目上に対する「手紙」などが考えられよう。誤字脱字は無いか、礼を失した表現は無いか。謙虚に「文」と向き合っている姿勢が「膝へ自づと掌」である。(本井 英)