滝水のぐうんと伸びて落ちにけり 山本道子

 季題は「滝」。古くは「滝見」といった人事季題として「夏」であったものが、近代になって「滝」だけ独立して季題になったという。「滝」と「水」の関係を無機質的に表現した句としては〈滝の上に水現れて落ちにけり 夜半〉があまりにも有名だが、掲出句も負けず劣らず、「滝」そのものを執拗に写生した賜の句と言える。

 下から滝を仰いでいると、滝口に現れた「水」が、垂れ下がった途端に「ぐうん」と「伸びて」、それまでの「水」の密度とは異なる希薄さを呈しながら下降し、滝の中ほどからは、それが千切れて、さらに細かく破砕されながら滝壺に躍り込む。こうしたプロセスを読者にきちっと提示してくれた一句である。

 写生ということは、我々花鳥諷詠の徒の基本的な態度であるべきで、こうした地道な句作りを忘れてはならないと思う。(本井 英)

駅過ぎて遠花火また見ゆるかな 田中 香(2018年1月号)

 季題は「花火」。「花火」を大きく二つに分けると、「揚花火」と「手花火」に分けられるが、どちらも盆の送り火の一形態として、華やかな中に一抹の悲しみ、憂いを帯びたものである。

 さて掲出の「遠花火」はもちろん「揚花火」。地平線近い低い空に、「ぽっ、ぽっ」と音も無く湧いては消える。作者が自分の乗っている電車の車窓はるかに「遠花火」の揚がっていることに気付いたのは、どのあたりであったのか。今宵花火大会のある町は、どこどこぐらいの想像をしながら、車窓の「花火」を楽しんでいるうちに、電車はとある駅に滑り込み、当然ながら遠方の景色は閉ざされてしまった。乗客の乗降が思ったより時間がかかりながら、発車のベルとともに車窓は動きだし、先程までと同じような、遠く見渡せる場所まで出て来る。もう見えないのかと思って凝視している車窓に、ふたたび音もなく浮かぶ「遠花火」。なんか得をしたような気分に包まれながらガラス窓に額を付けて外を見ている作者の姿が見えてくる。(本井 英)

ででむしをつまみ地球と切り離す 磯田知巳

 季題は「ででむし」、「蝸牛(かたつむり)」の傍題である。「でんでん虫」とも呼び、さらに「でーろ」、「まいまい」、「みな」など方言が豊かなことでも知られ、柳田国男に有名な「蝸牛考」なる論文がある。この「ででむし」という呼び名は「出ろ出ろ」と蝸牛を囃して「角」を出させる「遊び」からの命名と言われる。「♪ヤリ出せ、ツノ出せ、アタマ出せ」である。

 作者もまた、この「ででむし」を見掛けて、大いに「遊び心」が発動したのであろう。ゆるりゆるりと石畳の辺りを移動していた「ででむし」を見かけた作者は、殻を掴んで持ち上げてみる。初めはねばねばした柔らかい身体を伸ばして、つまみ上げられることに抵抗を試みた「ででむし」も、ついには持ち上げられてしまったのである。

 作者は、こうして「地面」から持ち上げられてしまった「ででむし」のことを「地球」から「切り離した」と表現した。一見、「何を大袈裟な」と思われる読者も少なくないであろう。しかし、地を這う虫、「毛虫」でも「芋虫」でも、あるいは「蜥蜴」などと比べても、「蝸牛」(実は蛞蝓もだが、蚯蚓をつまみ上げるのは気持ち悪い)ほど、地面に密着して移動する虫は思い付かない。

 ここに至って作者の表現は「表現のための表現」ではなく、確たる実感に裏打ちされていることが判る。この句を巻頭に据えた所以である。 (本井 英)

光から雷鳴までを息つめて   木下典子

 季題は「雷鳴」で夏。「雷」の傍題である。他に「神鳴」、「いかづち」、「はたたがみ」、「雷鳴」、「雷神」、「遠雷」、「落雷」、「雷雨」、「日雷」などが傍題として挙がっている。よく見ると、これらはみな「音」ばかりで、同時にもたらされるはずの「閃光」、すなわち「稲妻」は含んでいない。そして、何と「稲妻」は秋の部に、「稲妻」、「稲の殿」として取り扱われている。

 つまり実際の自然現象としては、同時にセットで起きている「音」と「光」が、「歳時記」上では異なる季節の出来事ということになる。近代的な、あるいは西洋的な「合理主義」とはやや異なる、日本的な「感じ方」がここでは求められることになる。結論を先に言えば、我々日本人は「稲妻」の「稲」の部分に大いに反応し、「稲の妻」、「稲の殿」というように、稲が結実するための「外的な力」として「閃光」を考えていたわけである。俳句が決して全き「近代文学」では無く、「伝統の制約」を受け入れて成り立つ「伝統文芸」である所以はここにある。

 とにもかくにも、「稲」が無事稔ってくれることを希求する、悲しいまでの「祈りの心」に同感を覚えなければ、このような「不合理」を「近代的日本人」と称する人々が理解することは出来ないであろう。「俳句」とは、この列島に営々と農耕民族として暮らしてきた祖先たちとの「あるアイデンティティー」を感ずる人にだけ開かれている、狭い狭い「領域」に過ぎないのである。

 さて掲出句は、そうした一見矛盾に満ちた季題の世界を、精一杯合理的に詠むことに努力を傾注した一句と言えようか。「光」と叙して、実質的には「稲妻」を取り扱いながら、「光線」と「音響」の速度の差を(誰もが実感として知っている)、的確に、誰にでも同感できるように写生している。「息つめて」の表現も大袈裟でなく好感がもてる。(本井 英)

跼まりて子はなほ小さし椎拾ふ  藤永貴之

 季題は「椎の実」。「椎」と言えば『源氏物語』「宇治十帖」の「椎本」を連想される方も少なくないであろう。〈立ち寄らむ陰とたのみし椎が本むなしき床となりにけるかも〉と宇治の八の宮を悼んだのは薫。「椎」は、古代から「救荒食」の代表として「頼み甲斐」のあった木なのである。その印象が、「たのむ」という言葉と結びついて、文芸の世界の連想にまで定着していたと考えてよいだろう。さらに、西行の〈ならび居て友を離れぬ子がらめの塒に頼む椎の下枝 西行〉の「子がらめ」は「子雀」。雀たちにとっても椎は「頼む」に価する木として讃えられていたのであり、その西行を慕っていた芭蕉にも〈まづ頼む椎の木もあり夏木立〉がある。この句からは湖南「幻住庵」での暮らしに臨んだ芭蕉の、芸術に身を捧げんとする、ひたむきな心持ちも伝わってくる。

 「跼まり」は「かがまり」、「子」がしゃがみ込んでいるのである。大人と違って、膝も腰も小さく畳み込んだ子供の姿は本当に「小さく」見える。

 「なほ」は必ず「でも、やっぱり」と約すのが古典解釈上の「きまり」。

 従って一句を敢えて口語訳すれば、「すこし離れた処に、しゃがみ込んで椎の実を拾っている我が子の後姿を見るにつけ、でもやっぱり、この子はまだ小さい、と思わずにはいられない。」となる。

 動物の世界の多くでは子供を育てるのはもっぱら母の役で、父はまったくその任に与らない場合も少なくない。熊や虎はその代表で、賢治の「なめとこやまの熊」に出てくる「母熊」と「子熊」の会話は、私たちの心を締め付けるほどに、母子の信頼と愛しさに満ちている。一方、ほとんど顔見知りではないはずの虎の「父子」の成長後の邂逅の場面でも「それと判る」という報告がされている。「父には父の」、掛替えのない「子」への、何ものにも代えがたい愛情が深く深くあるのである。ましてや人の世では言わずもがな。その子を、やや離れて見つめるにつけ、「子はなほ小さし」との思いが湧き上がってくる。

「子」にとって「頼みの存在」であるという自覚が自ずから「椎の実」という季題に託されたと説く向きもあろうが、それは順序が逆で、「椎の実」の持つそうしたメッセージを無意識のうちに感得した詩人の心に、一句の世界が拡がったとみるべきである。

 花鳥諷詠・客観写生では「人生」が読めぬ、というようなことを説く人々もいる。この句などは、それらの人々の蒙を啓くに足る、第一級の作品であると確信する。(本井 英)