ででむしをつまみ地球と切り離す 磯田知巳

 季題は「ででむし」、「蝸牛(かたつむり)」の傍題である。「でんでん虫」とも呼び、さらに「でーろ」、「まいまい」、「みな」など方言が豊かなことでも知られ、柳田国男に有名な「蝸牛考」なる論文がある。この「ででむし」という呼び名は「出ろ出ろ」と蝸牛を囃して「角」を出させる「遊び」からの命名と言われる。「♪ヤリ出せ、ツノ出せ、アタマ出せ」である。

 作者もまた、この「ででむし」を見掛けて、大いに「遊び心」が発動したのであろう。ゆるりゆるりと石畳の辺りを移動していた「ででむし」を見かけた作者は、殻を掴んで持ち上げてみる。初めはねばねばした柔らかい身体を伸ばして、つまみ上げられることに抵抗を試みた「ででむし」も、ついには持ち上げられてしまったのである。

 作者は、こうして「地面」から持ち上げられてしまった「ででむし」のことを「地球」から「切り離した」と表現した。一見、「何を大袈裟な」と思われる読者も少なくないであろう。しかし、地を這う虫、「毛虫」でも「芋虫」でも、あるいは「蜥蜴」などと比べても、「蝸牛」(実は蛞蝓もだが、蚯蚓をつまみ上げるのは気持ち悪い)ほど、地面に密着して移動する虫は思い付かない。

 ここに至って作者の表現は「表現のための表現」ではなく、確たる実感に裏打ちされていることが判る。この句を巻頭に据えた所以である。 (本井 英)

光から雷鳴までを息つめて   木下典子

 季題は「雷鳴」で夏。「雷」の傍題である。他に「神鳴」、「いかづち」、「はたたがみ」、「雷鳴」、「雷神」、「遠雷」、「落雷」、「雷雨」、「日雷」などが傍題として挙がっている。よく見ると、これらはみな「音」ばかりで、同時にもたらされるはずの「閃光」、すなわち「稲妻」は含んでいない。そして、何と「稲妻」は秋の部に、「稲妻」、「稲の殿」として取り扱われている。

 つまり実際の自然現象としては、同時にセットで起きている「音」と「光」が、「歳時記」上では異なる季節の出来事ということになる。近代的な、あるいは西洋的な「合理主義」とはやや異なる、日本的な「感じ方」がここでは求められることになる。結論を先に言えば、我々日本人は「稲妻」の「稲」の部分に大いに反応し、「稲の妻」、「稲の殿」というように、稲が結実するための「外的な力」として「閃光」を考えていたわけである。俳句が決して全き「近代文学」では無く、「伝統の制約」を受け入れて成り立つ「伝統文芸」である所以はここにある。

 とにもかくにも、「稲」が無事稔ってくれることを希求する、悲しいまでの「祈りの心」に同感を覚えなければ、このような「不合理」を「近代的日本人」と称する人々が理解することは出来ないであろう。「俳句」とは、この列島に営々と農耕民族として暮らしてきた祖先たちとの「あるアイデンティティー」を感ずる人にだけ開かれている、狭い狭い「領域」に過ぎないのである。

 さて掲出句は、そうした一見矛盾に満ちた季題の世界を、精一杯合理的に詠むことに努力を傾注した一句と言えようか。「光」と叙して、実質的には「稲妻」を取り扱いながら、「光線」と「音響」の速度の差を(誰もが実感として知っている)、的確に、誰にでも同感できるように写生している。「息つめて」の表現も大袈裟でなく好感がもてる。(本井 英)

跼まりて子はなほ小さし椎拾ふ  藤永貴之

 季題は「椎の実」。「椎」と言えば『源氏物語』「宇治十帖」の「椎本」を連想される方も少なくないであろう。〈立ち寄らむ陰とたのみし椎が本むなしき床となりにけるかも〉と宇治の八の宮を悼んだのは薫。「椎」は、古代から「救荒食」の代表として「頼み甲斐」のあった木なのである。その印象が、「たのむ」という言葉と結びついて、文芸の世界の連想にまで定着していたと考えてよいだろう。さらに、西行の〈ならび居て友を離れぬ子がらめの塒に頼む椎の下枝 西行〉の「子がらめ」は「子雀」。雀たちにとっても椎は「頼む」に価する木として讃えられていたのであり、その西行を慕っていた芭蕉にも〈まづ頼む椎の木もあり夏木立〉がある。この句からは湖南「幻住庵」での暮らしに臨んだ芭蕉の、芸術に身を捧げんとする、ひたむきな心持ちも伝わってくる。

 「跼まり」は「かがまり」、「子」がしゃがみ込んでいるのである。大人と違って、膝も腰も小さく畳み込んだ子供の姿は本当に「小さく」見える。

 「なほ」は必ず「でも、やっぱり」と約すのが古典解釈上の「きまり」。

 従って一句を敢えて口語訳すれば、「すこし離れた処に、しゃがみ込んで椎の実を拾っている我が子の後姿を見るにつけ、でもやっぱり、この子はまだ小さい、と思わずにはいられない。」となる。

 動物の世界の多くでは子供を育てるのはもっぱら母の役で、父はまったくその任に与らない場合も少なくない。熊や虎はその代表で、賢治の「なめとこやまの熊」に出てくる「母熊」と「子熊」の会話は、私たちの心を締め付けるほどに、母子の信頼と愛しさに満ちている。一方、ほとんど顔見知りではないはずの虎の「父子」の成長後の邂逅の場面でも「それと判る」という報告がされている。「父には父の」、掛替えのない「子」への、何ものにも代えがたい愛情が深く深くあるのである。ましてや人の世では言わずもがな。その子を、やや離れて見つめるにつけ、「子はなほ小さし」との思いが湧き上がってくる。

「子」にとって「頼みの存在」であるという自覚が自ずから「椎の実」という季題に託されたと説く向きもあろうが、それは順序が逆で、「椎の実」の持つそうしたメッセージを無意識のうちに感得した詩人の心に、一句の世界が拡がったとみるべきである。

 花鳥諷詠・客観写生では「人生」が読めぬ、というようなことを説く人々もいる。この句などは、それらの人々の蒙を啓くに足る、第一級の作品であると確信する。(本井 英)

月命日カーネーションを束にして    羽重田民江

 季題は「カーネーション」。母の日の贈り物として使われることが多いが、初夏の花としてもさっぱりとして好感の溢れる花である。「月命日」は毎月ごとの「命日」。毎月、墓参を欠かさぬ人もあるし、仏壇で懇ろに経を読むという人もある。

 「仏様」の生前、「母の日」には必ず「カーネーション」の贈り物を欠かさなかった作者。月命日の「花」には生前を思い出して、同じ「カーネーション」の花束を供花として捧げたというのである。作者にとって実の母であったのか、それとも義理の母であったのかは分からないが、しみじみとした「深い情」が伝わってくる。(本井 英)

石段を上がればありし茅の輪かな   藤永貴之

 季題は「茅の輪」。陰暦六月末の「夏越の祓」に関連したもので「菅貫」、「菅抜」という傍題もある。歳時記的には六月末のものとなるが、原則的には十二月の末にも同じことがあって然るべきで、実際に大晦日に「茅の輪」を立ててある神社も多くある。多くの解説書は「茅の輪くぐり」を厄除けと解説するが、筆者は「再生」を演じているものだと考えている。

 さて一句の味わいどころは「石段を上がればありし」。つまり「石段」の下にいた時には見えていなかった「茅の輪」が「石段」を上がってみたら「あった」というのである。そのことから毎年「夏越の祓」のために参拝している神社ではないことも判る。

 たまたま旅先で詣でた神社で、長い石段を登って丘の上の大前にでたところ「茅の輪」があった。そこで作者は、ああ、もう「夏越の祓」の頃となっていたのだと知ったのであろう。(本井英)