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「夏潮 第零句集シリーズ Vol.8」 川瀬しはす『TKS』
「夏潮 第零句集シリーズ Vol.8」 川瀬しはす『TKS』~Tanoshiku Kyo-mo Susumoo~
「夏潮第零句集シリーズ」。第8号は川瀬しはすさん。
しはすさんは、昭和四十三年生れ。慶應義塾大学在学中に教養課程の「日本語表現論」で本井英主宰に巻き込まれて俳句と出会い、「惜春」を経て「夏潮」に参加。お仕事などでお忙しく、一時俳句を中断されていたようだが、現在では「夏潮」に投句して頂いている。
主宰の前書きにもあるとおりとにかく明るい方で、俳句もそのような前向きなエネルギーにあふれている。季題に対して前向きに、ご自分の主観をぶつけていられる俳句が目立つ。その一方表現としては言葉に無理をさせないよう、抑制されている。一部取り合わせが平凡と思う句も散見されたが、それはこれから沢山の俳句を残されていくに連れ洗練されていくことと思う。
マフラーのたてがみのごとバイク乗り しはす
季題は「マフラー」。下五が「乗り」と動詞で扱われているので「自」の句として鑑賞した。
バイクに乗ってかっ飛ばしている際に、自分のマフラーが棚引いている。それを馬の「たてがみ」のようだと表現された。冬の季節のバイクというのは風が冷たいものだが、この句の場合はそういうネガティブな部分は見当たらず、前向きに実に楽しそうな様子が浮かんでくる。空も素晴しい天気であったのだろう。
トラックに塩振るごとく霰振る しはす
季題は「霰」。この句も楽しい比喩を用いている。霰が降るような時は、大概くらい雰囲気であると思うが、トラックの荷台にぱらぱらと降る霰を塩と見た。「塩を振る」と言われて見ると一気に光景が軽妙な感じられる。お仕事柄、納入に来た業者と搬入口で軽口を叩き合っているような景が勝手に浮かんだ。
『TKS』抄 (杉原祐之選)
風光る水銀柱は十八度
左義長の破魔矢の鈴焼け残る
マフラーを著しケロヨンの置かれあり
いやいやとそうそうと揺れ玉椿
蜻蛉生る峠の道は工事中
灯台の町は恋猫多き町
あたたかや下の歯生えて笑ひたる
マンションに囲まれてゐる盆踊
手術着の汗の行き場のたよりなき
建ち並ぶハイツにコーポ芝櫻
以下、川瀬しはすさんにインタビューを行いました。
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Q: 100句の内、ご自分にとって渾身の一句
>A: 風光る水銀柱は十八度
渾身、というよりも捨身の一句。まだ俳句を始めて間もない頃の慶大俳句の富山合宿の帰りのこと。大先輩の故大島民郎さんと大阪に向かう列車の中で二人句会をするハメになり(失礼な話だが、その時初心者のワタシはホントにそう思った)、その場でとっさに作った句。しかしながら民郎さんはとても褒めてくださり、おかげで俳句を続けることができたと言っても言い過ぎではありません。もしかしたら俳句がイヤにならないように褒めてくれたのかな?ありがとうございました。合掌。
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Q:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。
A:なるときはなるがよし。俳句を作り続けること。おいしいものを食べること。旅にも出ること。そうすれば人生の中で新たなステージがやってくるでしょう。でも来たチャンスは逃さないこと。
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Q:100句まとめた感想を一句で。
A:四月馬鹿云ふも縁のなれとせん
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Q:句集のタイトルの『TKS』について
A:検索サイトでTKSと入力すると何が出てくると思いますか?
1.AKB48の妹ユニット(地名は群馬県高崎市と思われる)
2.ソ連の宇宙運搬船
3.ありがとうのスラング、Thanksの略
4.TaKarazuka-Shi
5.Takahama-KyoShi
本当に検索して出てくるのは2です。地味に活動していた縁の下の力持ち的な宇宙運搬船だったそうです。あとがきにも書きましたが、俳句のどこかを担っていきたいという思いとシンクロして、いいタイトルになったなー、と考えています。
相模原市在住のモモエさんからは、何故TKSというタイトルだったの?との質問がありました。私の正解は、3の気持ちに、1の時代性をかけた、です。
誰も正解はなかったと思います。3も本当にそう言うのか?というと間違いかもしれず、自信はありません。
早速使おうと思ったアナタ、恥をかいても私のせいにしないでください。ただ、ロンドン在住が長かった方のメモにTKS!と書いてあったのは事実です。
後付けで4(住んでいる)5(夏潮といえば!)も考えてみましたが、5あたりは本井先生にシバかれそうですね。
あとイロイロ考えてみました。「タカシ」(誰やねん)「タケシ」(前のとかぶってるでー)「高島屋」(勤めてる会社違うし←石川陽一郎先輩ゴメンナサイ)「T食べるK食うS寿司」(富山に行くとまさにこんな感じ)「T止まらずK転ぶSスキー」(富山に行くとまさにこんな感じ)「TタカハシKかっ飛ばSせー」(ちょっと苦しい。高橋由伸今シーズン大丈夫か)「TタイガースK勝ってS三位」(また野球でかぶった。クライマックスシリーズには出れます)。
オチはこのあたりでいかがでしょうか。「T足りないK川瀬Sしはす」これにて失礼いたします。
句集『TKS』を読んで~稲垣秀俊
句集『TKS』を読んで~稲垣秀俊
川瀬しはすさんは昭和43年生まれ、俳句を始められたのが昭和63年で、以後本井主催に師事されている。
川瀬さんの句は、下に挙げるように平明かつ明朗で、写生句の王道といった感じがある。先に評を書かれた本井主宰も矢沢六平さんもその点を指摘されている。句の明るさは、川瀬さんのお人柄はもとより、テーマの選び方と観察の正確さに因るものであろう。
成り揃ふ小茄子中茄子砂地畑
左義長の破魔矢の鈴が焼け残る
蜻蛉生る峠の道は工事中
以下はまだ他の方が評されていない句に触れていく。
造園夫五六人ゐて春めける
植え替えシーズンを迎えて活気が出てきた造園屋の風景であろうか。造園夫にしか触れられていないが、春めくという季題によって、周囲に植えられている木々の活力溢れる様子まで想像できる。
汗したヽる顎頬骨と団子鼻
顔のパーツを下から並べていくことで、仰角のある顔面が迫ってくるような効果が出ており、汗のしたたる暑苦しさを表現している。その雰囲気はまるでKING CRIMSONのジャケット画のようであり、顔というよりは肉塊に近い油っぽさを感じる。
建ち並ぶハイツにコーポ芝櫻
新興住宅地の植え込み、あるいはちょっとした公園に芝桜が咲いている様を写生した句である。味気ない住宅と、管理の行き届いた植え込みと、植栽された芝桜。どこをとっても人の手が入っていて小奇麗であり、一見俳句にし難いようにも感じるが、こうした人工的な景にこそ芝桜の本情があるように思う。
うねるやうな宿の畳や菜種梅雨
菜種梅雨は3月下旬から4月にかけて降り続く雨のことである。私にはまだ使いこなせない季題であったので、この句は大変勉強になった。
畳がうねっているくらいであるから、それなりに古い宿である。またそのうねりに気がつかれた川瀬さんは少し寛いでいらしたのであろう。古宿に何をするでもなく休んでいるという景と、梅雨や秋黴雨とは異なる菜種梅雨のデカダンな感じが相俟って独特の空気が醸成されている。
稲垣秀俊
句集『TKS』を読んで_矢沢六平
前北麻里子第零句集『誕生日』鑑賞_渡辺深雪
前北麻里子『誕生日』鑑賞 渡辺深雪
夫かおる氏の浜松赴任以来、前北麻里子さんとは家族ぐるみでお付き合いさせていただいている。八千代句会でも公私共にお世話になっているが、麻里子さんの作る句には常に女性らしい細やかな感性と、気取りのないのびやかさが見られ、筆者にとっても勉強になる所が多い。
麻里子さんの句に一貫して見られるのは、季題の持つ気分のようなものを素直に伝えていることである。
夏服に名前を白く刺繍して 麻里子
冬の雨三百世帯静まりぬ
夏服の白い刺繍からは夏の明るさと清涼感が伝わって来るし、町中がしんと静まる情景からは冬の雨の持つもの淋しさをそのまま感じることができる。
が、素直でありながら、「刺繍」という視点や「三百世帯」という表現には他の俳人とは異なる独自の感覚が見られる。その感覚は、対象となるものの特性を眼前にはっきりと表す、巧みな描写の形を取って表れる。
飛び魚や海に光の糸引いて 麻里子
向日葵のシャワーヘッドのごとく垂る
「光の糸」という言葉からは、単に飛び魚が元気よく跳躍する様だけでなく、光り輝く夏の海の情景が見事に伝わって来る。「シャワーヘッド」という描写を見ても、確かにひまわりの花はそのような形をしているし、実のいっぱい詰まった重量感のようなものが見てとれる。
それにしても、どうしてこのように言葉を巧みに用いて対象を描写することができるのか。基になっているのは、以下の句に見られる発想の豊かさではないだろうか。
白薔薇を絵の具で赤く塗る話 麻里子
入道雲蛸のお話作りけり
前者は有名な『不思議の国のアリス』に出て来る場面である。小さなお子さんと一緒に白いバラを見て、作者はふとこれを思い出したのだろう。雲を蛸の形にたとえる後者の句と言い、季題をただ写生の材料に用いるだけでなく、そこから寓話の世界へ読者をいざなう所に面白味がある。
しかし、ただ発想が豊かであるだけでは優れた句は作れない。あるがままにものを見、生活者の視点に立って句を作る誠実さが必要になるのだ。その誠実さは、一児の母親の立場から作った以下の句に十分見ることができる。
らふそくも苺も一つ誕生日 麻里子
母が読みひとり子の取る歌留多かな
お子さんの成長と共に麻里子さんの句もどのように進化して行くのか、これからも八千代の句友の一人として暖かく見守って行きたい。
色の名を教へ巡るや薔薇の園 麻里子
小さな子供を連れて、近所のバラ園へピクニックに出かけた。そこには赤、白、黄色と色とりどりのバラが咲きほこっている。が、幼い子供は何も判らず、ただぼんやりと目の前の花を見ている。作者は花を指さして、夫と一緒に「これは赤だよ」、「これは白だよ」と、一つ一つ色の名前を教えてあげた。きれいなバラの花を眺めながら、子供にものを教えていることを楽しんでいるようだ。そう考えると何気なく咲いているバラも、我が子の成長を見守っているように思われて来る。
仕舞ひには団扇で冷ます夜泣きの子 麻里子
季題は『団扇』。赤ちゃんに夜泣きはつきもの。ことに熱帯夜となれば、これが一段とはなはだしくなろう。夜中に目を覚まし、激しく泣きわめく赤ちゃんの顔は、暑さのせいもあって真っ赤に紅潮している。どれだけあやしても泣きやまず、仕方なくその顔を団扇で仰いで冷ましてやることにした。「仕舞ひ」というなげやりな言葉から、暑さと夜泣きに翻弄される親の苦労が見てとれる。
蟬死せりからりと腹を上にして 麻里子
「からりと」という秀逸な表現が、この句の中で大きなウェイトを占める。夏も終わりになると、それまで元気よく鳴いていた蟬の死骸があちこちに転がっているのを見かけるようになる。仰向けになって息絶えたこの蟬もその一つだ。それにしても、「からり」という表現は、何とも間が抜けて冷たく突き放したものの言い方ではないか。だが、この広い世界にあっては、ひとつの存在が消えるとはその程度のものかも知れない。死を前にして感傷的になるのは、唯一人間だけだろう。
爽やかにラクロス刈りたての芝生 麻里子
きれいに晴れ渡った、秋の日の情景。近所の運動公園であろうか、夏の間に伸びきった芝生も短く刈り取られ、その上で少女たちがラクロスをしている。芝生のすっきりした感じと、白いユニフォームの少女たちが躍動する様を見ると、何とも明るく若々しい印象を受ける。この印象を、作者は「爽やか」という季語で表した。刈りたての芝生の上でスポーツに興じる少女たちとこれを見る作者、双方の心躍る様を感じることができる。
青空に向かふ坂道蜜柑畠 麻里子
昨年の秋、筆者は地元浜松に作者とそのご家族をお招きする機会に恵まれた。上の句は、この時に作られたものである。蜜柑は傾斜の急な所で栽培することが多く、これを上ろうとするとちょうど空を見上げる格好になる。この日は、蜜柑畠を上っていった先に、よく晴れ渡った青い空が広がっていた。みんなで上った坂道が、作者の眼にはこの青い空へ続いているように見えたはずだ。どこまでも明るく澄み切った秋の情景が、蜜柑の鮮やかな色と共に思い出される。
白鳥の群れ湧き出づる空の奥 麻里子
季題は『白鳥』。この鳥は、寒い季節になると北から日本へ飛んで来る。冬の訪れを告げる鳥と言っても良いだろう。どんよりとした空を渡るその姿は、もの悲しくも穏やかな冬の景色にふさわしい。おそらく吟行か何かで、作者もこの空を見上げていたのだろう。すると突然、遠くに白鳥が群れをなして飛ぶのが見えた。何羽もの鳥が視線の先に現れるその光景は、文字通り「湧き出づる」という表現がふさわしいものであったはずだ。冬空の雄大さと、白鳥の優美さをこの句は見事に描いている。
年飾り小さきものがよく売れて 麻里子
年末のデパートあるいはスーパーの情景。新年に必要なものを揃えるために買い物に来ると、正月の飾りが売られていた。見ると値段の高い、大きなものばかりが売れ残っている。小さな飾りは飛ぶように売れて、ほんのわずかしか残っていない。やはり安く買うことができる、小さなものを選ぶのが人情というものだな、と作者は思った。もう少し景気が良ければ、大きい飾りを買う客も増えたであろうに。生活者の視点を通じて、去りゆく年の世相のようなものが見えて大変面白い。
ヒーターの音のみ試験二分前 麻里子
高校あるいは大学入試を受けた者ならば、試験前のあの静寂と緊張感はだれもが経験しているだろう。時計を見ると、試験開始までまだ二分残されていた。すると重苦しい沈黙の中、教室を温めるヒーターの音がふと耳に飛び込んで来た。普段は気にもとめないその機械音が、この日はやけに大きく聞こえる。この音と共に、教室を支配する不安と緊張感がいよいよ高まっていくようだ。まだ寒さの残る試験会場の、張りつめた空気がヒーターの音を通じて伝わって来る。
古雛の眉優しかり雨の寺 麻里子
訪れた寺の外では、しとしとと春雨が降っている。お堂を濡らす雨は、もう冬のように重苦しいものではない。中へ入ると、昔から寺に納められていたものか、古い雛人形が飾られてあった。穏やかな笑みを浮かべるその顔に、眉が小さく描かれている。淡い光に照らされたその眉が、可愛らしくも優しいものに見えた。雛祭のみやびやかな雰囲気と、春雨の降る静かな情景が人形の微笑を中心に浮かび上って来る。
ベランダで吾子の散髪春の風 麻里子
春の訪れと共に、子供の髪が伸びていることに作者は気付いた。窓の外を見ると、暖かな春の光が満ちている。これを見た作者は、久しぶりにベランダに出て子供の髪を刈りたくなった。子供を椅子に座らせ、後ろから髪を刈っていると、ちょうど一筋の風が吹いた。この風に乗って、ベランダに落ちた髪の毛があちこちに散らばって行く。厄介だと思いつつも、作者の眼には何とも心地よい光景に映った。散髪という営みを通じて、春の風のすがすがしさが牧歌的な春の情景と共に感じられる。
以上、「できれば、自分もこのような句が作れるようになりたい」という視点から選ばせていただいた。これからも麻里子さんには、読む者を楽しませてくれるような句を生み出すよう、お子さんの成長と共に期待したい。