児玉和子句集『白梅の家』(2009年6月)

「夏潮」の創刊以来の運営委員でいらっしゃる、児玉和子さんの第一句集『白梅の家」(本阿弥書店 2009年6月)。


特集 児玉和子第一句集『白梅の家』(『夏潮』2009年9月号)

「個人を超えるもの」                    藤永貴之

 

 児玉和子さんの第一句集『白梅の家』には思い出深い一句がある。

待春の光を返す大河かな

 慶応病院へ本井久美子さんのお見舞いに伺ったときのこと。一通りの挨拶のあと何と声をかけてよいかわからずにいた私に、久美子さんはある句会報を見せて下さった。その中にこの句があった。

―待春の句、いいですね。
―そう、いいわねぇ。

久美子さんはそう言ったきりしばらく窓の方を眺めておられた。

私にとってはそれが生前の久美子さんとお会いする最後の機会となってしまったが、久美子さんは、あの時、あの窓に、「待春の光を返す大河」を見ておられたのではないか、そんなふうに思い返すことがある。そしてこの一句は、実は最初から児玉さんが久美子さんを励ますために作られたものだったのではと思ったりもする。

ともあれ、この十年ほど私は、「待春」といえば、また「大河」を見ればこの句を思い出し、あの時の光景を甦らせてきた。そのたびに私は、久美子さんや児玉さんと会って話をしてきたような気がしている。すぐれた俳句にはそうさせる力がある。

梅が香や松山鏡吾も持てる

 この「梅が香」は、亡きご母堂にまつわる児玉さんの個人的な記憶を含みつつ、「花橘は名にこそ負へれ、なほ梅の匂ひにぞ古の事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる(『徒然草』)」といった一節をも思わせる。「梅が香や」の、もうそれ以外にはありえないというような切り出し方は、堂々としていて切ない。この句にはさらに謡曲『松山鏡』の世界と児玉さんご自身の実際の体験とが重ね合わせられている。このように本句集には、私的な経験が、古典の文脈や歴史の上に広やかな世界を獲得している句が少なくない。

腰越の郵便局に秋の雨
姨捨の田毎の田植用意かな

 などはその好例であろう。

母のことばかり思ふ日草の花
父と娘のテニス談義や夏木蔭

  読者には「他人事」として見過ごされそうな句かもしれないが、これらもまた普遍性をもつ。それは何といっても季題の働きによる。いずれも句集中の配列からして「母」「父」それぞれの在りし日の作であろうが、そのお二方が亡くなられてなお、句は輝きを増してゆくようにみえる。無常を生きる私たちにとって、本当に大切なものを繋ぎとめているのは季題なのだということを思いしらされる。作者幼少の「母」の記憶にまで遡っていくような「草の花」のなつかしさ。また「夏木蔭」の安らぎは、威厳の中に優しさを湛えた「父」の為人に通じてゆく。私のような、児玉さんのご両親を知らない読者をも魅了してやまない作品である。

鯰の眼右と左と見てをりぬ
薄氷の溶けて水面の薄埃

 こうした写生の王道をゆくような句もまた児玉さんの句の魅力である。このようなしっかりとした写生の眼、写生の技は、

黒松は囚はれの王苗木市

のような作品を生むこともある。「囚はれの王」とは児玉さんにしかできない斬新さである。にもかかわらず「黒松」が荒縄でがんじがらめにされたさまやそこを素通りする人やトラックなど、「苗木市」の混み合った情景が目に浮かぶ。俳句表現のオリジナリティとはかくあるべきではないか。個性は大きな個性でなければならない。

紺碧の冬空ありて水昏し
閾越え土間に届きぬ竹落葉

 景そのものが寂寥を帯びているように感じられる。この世界のどこかに存在しながら、見捨てられ、置き去りにされているような景。その寂けさに、私はアンドリュー・ワイエスの絵画を思った。

 児玉さんの句は多彩でしかもそれぞれが深い。それは児玉さんが、人を、季題を、古典を大事にしてこられたからにちがいない。私は、俳句に学ぶものとして何よりもまずそのことを心に留めておきたい。


 児玉和子さんの句集『白梅の家』を拝読し、まずその出版をお喜び申し上げるとともに、その内容の素晴しさに驚嘆した次第である。この作者、平素じっと黙考されている事がある。そのような折に迂闊にも質問をし掛け、慌てゝ言葉を飲み込むのであるが、すぐに笑顔で即答してくれるのだ。こちらの質問が完結していないのに、その答は実に的確でびっくりする。余程この人の左脳右脳はバランスよく配置されているのであろう。安定した落ち着きのある骨太な句があるかと思えば、愛情深いしなやかな句もあり、時には肩の力を抜いた淡々とした句など、実に多彩である。今回はそのうちの愛情深い一句を鑑賞させていただく。

豆飯や今日も試合に負けし子に     和子

少年の所属しているチームは残念ながら強いとは云えずよく試合に負けるのであろう。泥まみれの日焼けした少年が重そうな道具を担いで戻って来る。元来スポーツの持つ厳しさ愉しさを十分承知の母親は動ずる事も無く、健気に頑張ってきた少年に豆ご飯を炊いてあげるのである。白いご飯に緑の豆が美しく、家族の幸せな顔が浮びあがってくる。この句を鑑賞していると、古いアルバムを捲るように、いつのまにか、自分の過去の或る一刻にまでフィードバックし、懐かしさで一杯となった。過去ばかりではない。ヤクルトファンである私にとっていとおしいスワローズは、「今日も試合に負けし子」なのである。(酒泉ひろし)


月光をあびてまつ直立つてをり     和子   

月光を浴びて立っているものは何だろうか?

天心に掛かる冴え冴えとした満月。その中に屹立するもの。よしんばそれが何であれ、他のものは全て消え去り、静寂が支配する世界が浮かび上がる。

西洋では月の霊気にあたると気が狂うという話もあるとか。煌々と輝く月を見ていると、説明できない何かを人は感じとるのだろう。しかしこの句にはそのようなまがまがしさよりも、余計なものがそぎ落とされ心から浄化されてゆくような心地よさがある。全て洗い流され生まれ変わり、許されていくような快感。

「まつ直立つてをり」という措辞の力にわしづかみにされ、読者自身もその世界の中に引き込まれてしまう。ものみなをあまねく照らす月光により、等しく全てが浄化されていく世界が厳然と立ち上がる。作者の凛とした孤高の魂が感じられ、知らず識らず共鳴するものがどの人の心の中にもあるのではないだろうか。

読むたびに厳粛な、かつ穏やかな気持ちにさせてくれ、温かい力の満ちてくる思いがする。和子さんの心の一面を垣間見た思いがする。(山内裕子)


 竹の春石屋の庭は石ばかり     和子     

石屋の庭に石が置かれているのは考えてみれば当たり前のことだ。その当たり前のことを、まるで童謡のようなリズムに乗せて一句にされたことで実景以上に面白い景が浮かび上がってきた。「石屋の庭は石ばかり」と「石」を繰り返したフレーズからはゴロゴロと置かれた大小様々の石が想像される。水墨画のような趣のある「石と竹林」の取り合わせが「竹の春」という季題によって、青々とした色彩を得ている。硬質な「石と竹林」が秋の澄んだ空気の中に置かれたことで、よりくっきりと、より清らかに見えてくる。常に季題に真摯に向き合ってこられた和子さんならではの、季題の本情を知り尽くされた作品だと思う。

この句は平成六年十月の句会で出された一句である。全くの初心者だった私も同席していたが「竹の春」という難しそうな季題を見事に詠まれたことに驚いた。この日の記録によると英先生は選後の講評で「青々とした竹藪を後ろに背負う農家の佇まいに近い家。代々その地で石屋を営んでいるが昔は田舎の一軒家だったのだろう。庭には商売道具の高価な石が無造作にごろごろ置かれているような感じ」と話されている。和子さんからは「今日ここに来る為に乗った電車の中から見えた石屋を詠んだ」と伺った。車窓の景色を一瞬で切り取って句にされたことも作品に心地よいリズムが生まれた一因なのかもしれない。(梅岡礼子)


駅前のバレエスクール春夕べ     和子     

「春夕べ」は清少納言の『枕草子』にある「秋は夕暮れ」を受けて、春の夕べのよろしさをたたえた季題である。落日が消えた後もまだ紅を深めて明るく、日が長くなってきた喜びを感じるひと時である。

掲句の駅前はそれほど大きな駅ではなく、たとえば江ノ電のような小さな駅であろうか。昔、私の暮らした茅ヶ崎や、転勤先の仁川には駅前にバレエスクールがどういう訳か必ずあった。その頃は、食の細い子や体の弱い子達が少しでも体力がつけばと願って通っているのだと、母が言っていたような記憶がある。今時の母親はどのような夢を託して通わせているのだろうか。

バレエスクールへは低い階段をとんとんと上る。白壁は薄絹を掛けたような桃色に染まり、蔦の緑が絡まり、丸いお洒落な窓がついている。近所に住む少女たちが母親に手を引かれ、次々と明るいドアーの中へ入って行く。髪をきゅっとお団子に結われ、背筋をぴんと伸ばしたプリマが集まって来る。ほっそりした少女、ぽっちゃりした少女たちが学校から帰り、今日はバレエのお稽古の日。そんな時間帯であろうか。昔も今も変わらない幸せそうな風景である。

夢多き少女と春の夕べの風情がぴたりと合った、モネの絵のやわらかな色調を感じるようなお句であると思えた。(園部光代)


秋晴を南へ渡る蝶といふ     和子      

季題は「秋晴」。蝶は斑蝶で、おそらく大形の美しい浅黄斑ではないだろうか。作者は東京、あるいは長野あたりでご覧になったのでは?長距離を旅しながら北上して来た蝶が、やがて台湾、南西諸島へと帰る。千キロの長旅で、ほんの数パーセントの確率でしか帰ることのできない蝶の宿命を、作者はご存知だ。

眼前の蝶は、時に人懐っこく髪に触れ、また顔すれすれに飛んでもくる。蝶の美しい分だけその過酷な旅を想像すると、愛おしさはいや増すばかりだろう。作者が優雅に飛ぶ蝶を眺めている時点で、こころはいつしか蝶とのある種の不思議な同化に近いものに徐々に入って行くようなものさえ感じられる。

秋晴れの高く澄む空を思い、彼らの無事な長旅をそっと願っているかのようだ。「いふ」での切れは正に優しくまた強く脹らむ。句の持つ雰囲気からは、いいしれない

見sないでしょうか。作者は東京又幽玄を感じる。それは中七の「南へ渡る」の、其処に命がけの大きな旅が控えていて、人生とも重なる。生の強さとまた終末や、ものの哀れさを引き出すものがある。さらに同じ神より生まれた被造物同士の一つの内的パルスの発生して行く過程が無限の広さと深さで横たわる。その広さと深さに引き込む水平思考ができるものがこの句にはあると思う。(山口照男)


保線員らし向日葵を背に立てる     和子    

「旧満州鉄道の旅 六句」の前書きがある。

掲句は前書きのとおり、車窓の光景であろう。鉄道の沿線に人がある間隔でぱらぱら立っている。どの人の背後にも向日葵畑が続いている。季題「向日葵」から、背後に広がる広大な大地と太陽が見える。それらは普段日本で見るそれより遥かに乾いていて大きい。

「保線員らし」の「らし」から、鉄道沿線の人々が日本で我々が普段見る「保線員」と違う雰囲気を持っていることが判る。偏見を恐れずにいうと、これが中南米であればTシャツ=短パン姿。今の中国であるとすると「人民軍」のような「堅い」制服姿であろう。前書きがなければどちらの意味で解釈するかは読み手の「記憶の引出し」次第であるといえる。

この句は、この句集の他の句には無い句柄の大きさが現れていて、児玉さんの句の新しい境地を示すことになるのではないかと僭越ながら思い、選ばせていただいた。

ご存知の通り児玉和子さんは「夏潮」きっての「上手」であり、厳密な季題、字句の解釈で我々を啓蒙してくださっている。「旧満州」という日本と異なる「大陸」において、掲句のような五七五の容量の中で、無理なく風土にあったスケールの大きな句を作られたのは流石である。(杉原祐之)


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津田伊紀子 第一句集『涼しき灯』(2010年4月)

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特集 津田伊紀子 第一句集 『涼しき灯』 (『夏潮』2010年10月号)


遠きまなざし ―津田伊紀子句集『涼しき灯』を読む―  児玉 和子

 この度、私達は津田伊紀子さんの作品を三百余句、まとめて拝読出来る機会を得た。句会で御一緒するたび、その正確な写生力、言葉の選択の美しさに圧倒されている者にとって、まことに仕合わせな機会である。

  「涼しき灯」と題されたこの句集を読んで、最初に印象に残ったことは、作者の遠くを見るまなざしである。

一湾の真珠筏に東風の波
茸採り木の間がくれに遠ざかり
遠ざかり来し霧ごめの竹生島
冬晴れの日の残りゐる遠き壁
遠き灯の更けて露けき島泊り

 作者は遠くを見ている。自分と遠くのものとの間の空間を見ている。その空間を埋めているものは限りない抒情である。正確な写生、適切な描写力を周囲から認められているこの作者の句に惹かれ、深い感動を覚えるのはどの作品の底にも広く深く存在しているこの抒情のゆえである。

  そう気がついて読み返せば、それは「遠くのもの」に限らず、身近なもの、人事を詠んだ句にも必ず作者の「柔らかい心」「震えている心」が存在していて、その上での写生であることが良く判ってくる。

おしろいや島に古りたる写真館
しらじらと刈り倒されし竹煮草
秋草の中をまっすぐ石畳
焚くばかりなる枯菊に日当れる
海底の砂紋に秋日さしこめる

   「寂しさ」ともいえないような寂しさ、心のゆらぎを感じた作者は眼前の景をそのまま掬い上げてゆく。

  勿論、心が震えるのはそうしたものに出会ったときばかりではない。

バスに手をあげて横切る焼藷屋
福引のはずれの玉の弾み出づ

  「おやおや」とにっこりしてしまう時も、のがさずにとらえて句にしてしまう。この作者の柔軟な心を「少女のような」などとは申しますまい。成熟しつつ柔軟でありつづけること。これこそ伊紀子さんが伊紀子さんであることなのだ。そして私が憧れていることでもあるのだ。


函館や地図のかたちに涼しき灯  伊紀子

 御句集の中にこの句を見つけた時、御一緒した十年前の北海道の二泊三日の旅が昨日の様に思い出されました。

 早速その時の会報を再読、旅の一日目の最後の吟行地が夜景の函館山でした。初夏とは云え六月の北海道の夜は肌寒く、その事が却って夜景をより鮮明に見せてくれたと思います

 北海道は日本地図の中にあって一番覚え易い容をしている様に思います。良く見ればそれなりに複雑ですが菱形で事足りる場面が多々あります。そんな親しみ易い容を中七の「地図のかたちに」と具体的に詠われました。この事でこの御句により一層の共感を覚える方々が沢山いらっしゃるのではないでしょうか。そして下五の「涼しき灯」の季題で句全体を大きく纏められ、函館山の山頂から見下ろす夜景を存分に描いております。

 たった一つでも「涼しき灯」であったりこの御句の様に雄大な地図を縁取る「涼しき灯」であったり季題の自在の面白さ、楽しさを改めて実感いたしました。

 嘗て初心者の私に「俳句は麻薬よ」とおっしゃった伊紀子様の言葉の意味がこの頃やっと理解出来たように思います。これからもその言葉を大切に俳句に遊びたいと思います。(兵藤芳子)


婢に一と日のいとま鳥渡る  伊紀子

 伊紀子さんとはじめて打解けておしゃべりをしたのは、昭和六十年八月四日、虚子先生の武蔵野探勝のあとを追う旅、新武蔵探勝(第十三回)奥多摩での一夜の宿河鹿園の渓流を眼下にした二階座敷にくつろいだ一刻のこと。

 昭和二十六年から俳句を学んでおられた伊紀子さんのお話は、「生涯に虚子選一句」まで出来た句の下五をどうしたらよいかと久雄師にご相談したところ、たちどころに、「伊紀子の忌」とつけられたと。

 ひどい先生と二人で大笑いしたのであるが、たしか朝日俳壇への投句だったと伺った覚えがある。その虚子選の一句が、冒頭にとりあげたお句

  婢に一と日のいとま鳥渡る

だったとお句集が上梓されてから教えていただいた。

 虚子先生は昭和三十四年四月八日ご他界、遅れて俳句を学びはじめたものには詠みえないことではあるが、このお句の空気は決して平成の世のものではない。

 具体的な情景はわからないが、下町の商家の奉公人でもあろうか、大川の辺に佇んで空を仰いでいる様が想像され浅草を知り尽くしておられる伊紀子さんらしいと思うのである。平凡な日常、なんでもない町中の光景全てを詩にしてしまう伊紀子さんのこれからのお句を楽しみにしている。(田島照子)


火をかけし落葉に落葉掃き寄せて  伊紀子

 頂いた句集「涼しき灯」を読み進めて行くうちに気付いたことは、どの句にも緩やかな時間の経過があり、ひそやかな時の流れを、そして人が誰でも積み重ねてゆく時を句に託し、ゆっくりときめこまかに詠い上げてあることである。

 よく俳句は「一瞬を切り取る」とも聞きますが、ものの動き、変化に対してひらめきで無く、おゝらかに対応し、子細に観察して一句に仕上げてある。どの句にも永遠に流れ去ってゆく刻の姿を止どめている。

 そんな視点にたっての掲句。

 もう煙が出て燃え始めている落葉の山に、また風が出て新たに降ったか、掃き残した処から掃いて来たか、集めた山が幾つもあって、それを火を付けた山に移しているか、いずれにしても落葉をまた掃き寄せてゆくゆっくりとした時間の経過が、山寺か、里の寺か、いかにものんびりとした和尚さんの姿が彷彿と湧き、落葉を降らせている境内の樹々の間に入ってゆく煙の行方まで気になってくる。

 落葉焚とすればそれで済んでしまう味気無さを補なって余りある句の形に仕上げ、しみじみと冬に入ってゆく万象 を落葉の煙に託して描写している作者が見えてくる。(辻梓渕)


門火焚く思はぬ風の起りけり  伊紀子

 お盆の十三日、精霊棚から迎火を焚くための何やかやを持って門先に出た。娘さんの家族も作者を手伝って神妙についてきてくれる。塀に苧殻を立てかけ、線香に火をつける。先祖の霊が迷いなく自分の家に帰って来られるように煙を上げるのだという。朝から暑くて風死す状態、全くの無風だったのに急に風が起きた。そしてあっという間に苧殻その他を燃やし尽くしてしまった。焚いた火が風を呼ぶのだろうか。ここだけつむじ風のようでもあった。家族の慌てる様子が浮かぶ。帰りたくてたまらない仏が起す風かもしれない。突風のような不思議な風を伊紀子さんの句はただ客観的に述べただけであるが、精霊たちへの深い情を呼び覚ます。送火の場合はまた鑑賞が違ってしまうが、迎火の句として読ませていただいた。実感の句は余韻を生む。

迎火や風に折戸のひとり明く 蓼太
風が吹く仏来給ふけはひあり 虚子

 余談であるが、諸霊は迎火の時は胡瓜の馬に乗り一目散に戻り、送火の時は茄子の牛に乗って後を振り返り振り返りゆっくり帰るのだと教えられたものである。(飯田美恵子)


金魚いま袋の水にしたがへる  伊紀子

 季題は「金魚」。袋というのは巾着に仕立てられたビニルの袋だろう。金魚売から買って帰るというよりも、虚子編新歳時記にある「縁日の路傍には掬ひ取りをやらせる金魚売が店を張る。」の帰り道の景としたい。

 縁日の金魚掬いで素早く逃げる金魚に悪戦苦闘の末に掬い上げた数匹の金魚が、いまはぶら下げた袋の僅かばかりの水の中に浮かんでいる。金魚はもはや逃げようともがくこともなく袋のかたち、水のかたちにしたがうばかりである。

 「金魚」と「袋の水」以外は省略されているが「いま」とあえて出すことでその前の時間、即ち縁日の喧噪や匂い、電灯に照らされて散り惑う金魚の色や水のきらめきが想起されて来る。そして今は身じろぎも出来ないけれども、連れて帰れば水鉢や水槽へ放されるであろう金魚の持つ儚さと美しさ、その小さな命に対する慈しみの目まで含めて「いま」の一語に集約されている。

 さて、件の金魚の袋を持っているのは浴衣姿の子供だろうか。もう一方の手を母に引かれて行く家路。まだ縁日に心残りがあるのだけれども「金魚を早く水に放してあげようね」と母の言葉に促されているのかもしれない。

 句の中には「袋の中の金魚」しか語られていなくても何処かに親密な人々の気配が感じられる句である。(櫻井茂之)


春灯にけふのエプロンはづしつつ  伊紀子

 「けふのエプロン」という措辞が、まず第一に印象に残りました。毎日の生活で、毎日エプロンをするけれども、いつかと同じ「けふ」は決して無く、その日その日を大切に、丁寧に過ごしているということが伝わってくる、伊紀子さんならではの表現だと思います。そして春灯という季題の持つ明るさから、家族が集まったのか、来客があったのか、そんな特別なことは無かった日だったのか、ともかく忙しくも楽しかった「けふ」」だったことが想像されます。
 台所と部屋の片付けを終えて、ほっとした気持ちでエプロンを取りながら、ふと、静まり返った部屋を照らす明かりに目が行った作者。それがごく普通の蛍光灯でも、「春灯」という季題を知っている目で見れば、感じるものが違ってきます。一日の余韻をその春灯に感じ、疲れたけれども心地よく、満ち足りた気持ちを春灯にゆだねるほんのひととき。省略の利いた軽やかな句にまとめたことで、かえって余韻の深い句になっています。普段は無意識のうちに過ごしている時間が、一つの季題の力を借りて句として掬い上げられている、俳句の良さ、楽しさを再確認できる句だと思いました。(石本美穂)

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杉原祐之句集『先つぽへ』(2010年4月)

杉原祐之さんの第一句集「先つぽへ」(ふらんす堂 2010年4月)


特集 杉原祐之 第一句集『先つぽへ』 (『夏潮』2010年9月号)


            永田 泰三

 インターネットとは便利なもので、杉原君の句集に対する各人の評価を読むことが出来る。特に興味深いのは、夏潮以外の俳人達の評価だ。杉原君自身はそれらの評価を以下の様にまとめる。(彼のブログより引用。)

 「迷句集『先つぽへ』は、『全部一物仕立て』(二句一章が二三句しかない)。上記と連動ですが、『かな』『けり』ばかり。一本調子。『言い放っしの句多々あり』『ふてぶてしい』と言った評価を頂戴しているようです。」

句集より「や」で切られている句を抜き出してみると、

山鉾や狭き路地からぬつと現れ

かなかなや温泉街の坂を下り

成人の日や働き口の無き島の

懐に死亡届や花の冷え

微風や代田鏡に皺生れ

レーダーや小雪のやうな雪女

ゴルフ場の大看板や芋畑

狼や山の神々強し頃

以上の八句である。この中でもいわゆる取り合わせの句は、「成人の日や」「懐に」「レーダーや」の三句のみである。そして、何よりも注目すべきは、これらの句においても季題が中心、あくまで季題からの発想という彼の姿勢であろう。

 杉原君は第一句集『先つぽへ』の名前の由来を、後書きに次のように述べる。「『花鳥諷詠』の道を、類句類想の沼に苦しみもがきつつ、例え一握でもその沼の先に新しい砂を積んでゆくことが出来ればと思っている」と。

蕾からポピーの色のはみだせる

風鈴の短冊回りつつ鳴らぬ

風摑むまでふらつけるヨットかな

雲雀落つ土に引つ張られるごとく

蜆汁険しき顔をして啜る

仮名書きに記す海女の名洗面器

季題をしっかりと見つめ写生をする。これが、私たちの俳句である。杉原君のこの句集を貫いているもの、それはまさにこのことであろう。彼の句集は、私たちの方法には、まだまだ「先」があることを示してくれている。彼と共に我々もまた、花鳥諷詠のさらなる「先つぽへ」と進んでゆきたい。


 叱られに会社へ戻る秋の暮      祐之

 祐之さんの入社は巻末の略歴から平成十四年で掲出句は換算するとサラリーマン生活七年目の作品である。句集『先つぽへ』の他の句からも出張の多いお仕事の様だ。

 会社で七年目ともなると上司の命令で責任を伴う仕事が増えてくる。仕事の内容は判らないが実直なお人柄から準備万端で出かけられたのだろう。一日がかりの外勤か、誠心誠意仕事をしたが思ったような成果が出せなかった。あるいは決定的な失敗をした。若さ故に真っ直ぐで機微に富んだサラリーマンのようには未だいかないのかも知れない。この結果では会社で叱られるに決まっている。外はもう暮れていると気づくと益々気が重い。しかしこれから報告に会社へ戻らねばならないのだ。

 この句が心に響くのは季題の「秋の暮」ともう一つ「怒られに戻る」のではなく「叱られに戻る」と叙した所である。「怒る」は単に腹を立てる事だが「叱る」には戒める

つまり教え諭す意味が含まれ、上司が常々「叱って」いる事を若い会社員の作者は判っている。単に反発しているのではない哀れさがある。的確な言葉の選択に依り含蓄ある句に成し得た。夕暮れに憂鬱な気持ちで会社へ戻る若いサラリーマンの孤独な後ろ姿が黒い影となり浮かんでくる。

こんな情景を季題の秋の暮がいかんなく語っている。(前田 なな)


蜻蛉の目覚めの翅の重さかな      祐之

 歳時記の上では、蜻蛉は秋。東京では初夏から秋へ、元気に飛び回っている。ヤンマなどをカメラに収めようと思うと、いつまでも空中を遊弋し、こちらが先にくたびれて止めてしまうことになる。ただそれも太陽の高い昼間の話で、体温が下がる朝は動くことができない。季節が下れば翅の露を光らせて午ごろまでじっとしている蜻蛉を見ることもあるだろう。陽を浴びてエネルギーが体に満たされてくると飛び立つためのシークエンスに入ってくる。作者はそんな蜻蛉の小さな動き出しを逃さずに捉えている。この句についての私の印象として三つほどのポイントがある。まずは詠みぶりが静かである点、つぎには要素が対象物の蜻蛉一つである点、さらには抽象化あるいは具象の希薄化が強いという点である。作者の句には日ごろ接しているが、比較的具体的な景が見えるものが多いように思える。地名などを想像しながら楽しく読ませてもらっているが、この句は蜻蛉という強さを属性として持つ対象を目の前にしながら、前面に出し過ぎず抽象性の高い表現がなされているように思える。作者のひとつの境地なのであろう。

 初句集の刊行、新しい家族での生活…大きなイベントがターニングポイントになるのか、息子ほどの年齢、しかし俳句の世界では大先輩の作者の今後の活躍が楽しみである。  (柳沢 木菟)


ひと鍬に土生き返る春田かな      祐之

季題は春田。稲刈の後の長い冬の間、手を入れられることがなかった田に鍬が入れられる。かまわれることなくそのままにしておかれた田の表面は白く乾いているに違いない。その乾燥した土に鍬が入れられるや、黒くやわらかな土が中から掘り出され、眠っていたかに見えた春田がまた活力を取り戻す。この句はそんな春田の再生の瞬間を、鍬を入れた作者の喜びと共に捉えている句であり、春という生命力にあふれる季節にふさわしい、活力を感じさせる句であると思う。

 「鍬を入れた作者」と前述したが、では作者は春田の持ち主か?この句を農夫が鍬を入れる所を第三者的に作者が目にしたと解釈することはできるかもしれない。しかし、やはり作者自身が鍬を入れた際に、その土の黒さややわらかさを実感していると考えたい。作者は春田に勢いよく鍬を振り下ろす。それをきっかけに春田が息を吹き返したように感じ、作者がその時に手に感じた感覚は全身に広がるのである。身体全体で春の訪れを感じている作者の姿が想像される。

春の喜びを感じさせる一句であると思う。(西木 麻里子)


 叱られに会社へ戻る秋の暮      祐之

句集『先つぽへ』には好きな句が盛り沢山である。上手い句も、唸らせる句も沢山ある。ここに掲げた句はどんな句だろう。私も作者と同じサラリーマン。些かのペーソスを感じ、「そうだよね、そういうこと、あったあった」と共感する句なのである。

「会社」って何の為にあるのか。世の中の役に立つ為にある。直接・間接に生活者の役に立つ仕事をさせるのが会社だ。会社がちゃんと役に立てば、利益という正当なお礼が貰えて、そのお金で次にまた役に立つ良い仕事をする。良い仕事をさせる為に人を育てるのも会社だ。お金を儲ける為に会社があるというのは目的の順序が違うのだ。と、三十年以上会社に勤めている私は思う。松下幸之助氏は、「松下電器は人を作っているところで、しかる後に電器製品も作っております」と語ったという。綺麗事だけを言うつもりはない。理不尽な事に対処したり、人の嫌がることをやらねばならぬのも会社の仕事。会社は一見非人間的な組織にも見えるが、人間の性(さが)と性(さが)のぶつかり稽古が繰り広げられる、ある意味でとても人間臭いところだ。「おい、仕方ないよ、とりあえず先ず叱られて来ようぜ、俺も一緒に謝ってやるからさ」、ためらう後輩を促して会社へ連れて帰る秋の日のひとこまであろうか。(藤森 荘吉)


 代田から植田へ水の走り落つ      祐之

 祐之さんは、自他共に認める「棚田オタク」である。棚田と聞くと日本列島津々浦々、どこへでも出かけていくらしい。彼のブログを見ると、出張なのか旅なのか、とにかく日本中を飛び回っているが、棚田・棚畑を見て「先人のご苦労を思うと涙が止まりませんでした」といってみたり、元日に棚田を訪れたりしている。

 掲出句には、『夏潮』初の稽古会、石の湯 三句」と詞書がついているが、この句は「余り苗魔除の如く置かれたる」と並び姨捨の棚田で作られたもの。

「棚田こそ。人類の叡智の結晶と言えます。」との作者自身の言葉にもあるように、棚田は、限られた土地・稀少な水を最大限活用するために、その土地の地理・水理を知り尽くした人々が、何年・何代もかけてこつこつと築き、継承したもの。水は地球上どこでも重力に従って上から下へと流れていくが、棚田では、そこに人間の知恵が加わり、一枚一枚の田のわずかな落差を活用して、田から田へと、水が廻されていく。用水は山から直接であるから水は冷たく、水温管理も難しい。時間をかけて、田から田を巡った水が流れ込む下のほうから田植えに適した水温になっていくのだろう。掲出句はそういう情景を捉えたものであり、作者の棚田への思いが凝縮された一句であろう。(原 昌平)


スコップに立方体の雪卸      祐之

 東京人の祐之さんにとっては非日常的であろう「雪卸」という季題。雪深い土地へと旅をされたのか。

 雪国、豪雪地帯と呼ばれる地方では、降り積った屋根雪の重さで建物が潰れてしまわぬように「雪下し(あるいは雪卸)」をしなければならない。私の住む富山でも冬にはよく見かける光景である。雪は積もるほどに少し融けては凍り、硬く締まり重くなってゆくのである。

 近頃は、暖冬の影響や建物の構造の変化で以前より回数が減ったとはいえ、高所での滑りやすい作業の為、命の危険が伴う重労働には変わりがない。屋根に上り足場を確かめつつ軒先から順に、重いスコップで切り出すように雪を下ろしてゆくのである。

 初めのうちは漠然とその作業を眺めておられたのだろうが、次第に雪を切り出す様子にズームアップされてゆく。

 そしてそれを「スコップに立方体」と詠んだことで、スコップに掬いとられた雪の深さ、塊の大きさが見える。スコップを雪に突きたてる時、掬いとる時の手応えまでもが感じられる。

 更には、その重労働を黙々とこなす雪国の住人になって、まるで自身が「雪卸」をしているかのようにさえ思われてくるのである。(磯田 和子)


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【高瀬竟二句集『風樹』】

【高瀬竟二句集『風樹』】

『風樹』_高瀬竟二句集

『風樹』_高瀬竟二句集

ふらんす堂、平成二十三年二月

「ホトトギス」「海坂」「玉藻」などの同人で、「夏潮」でも課題句選者を勤められている高瀬竟二さんの第三句集。

平成七年から十九年までの十三年間、その間に氏は銀行を定年退職され、一人っ子の愛娘様が嫁いでいったとのこと。

 

 句集の題名は第一句集から「花鳥諷詠」に因んだ名前をつけてこられたので、今回は「諷」にちなんだ言葉から「風樹」というタイトルを選ばれたとのこと。

 

現在では虚子の「追っかけ」として全国の句碑を巡る旅をされており、まもなく全国制覇。

 

 花鳥諷詠の王道を行くような写生句と、心の底から浮かんだ感情を静かに季題に託して詠みあげる技術は目を見張るものがある。

 ご本人が「あとがき」で、「自句との類句類想が気になる」「句意が表面出て報告に終っている」と厳しく自己反省されている点、見習うところ大である。

 更なる高みへ向け、我々を導いて頂きたい。

 

以下、印をつけた句を紹介したい。

「春暁抄」

・風音を松の高きに初詣

・悴みて天といふ字のゆがみたる

・風の木曽瀬音の飛騨や旅の秋

・残菊の裏庭に日のまはりたる

 

「夜涼抄」

・初夢の大蛇のごときものに遭ふ

・手の見えて柱のかげの甘茶仏

・おほよその数を並べて藺座布団

・子と仰ぐ虹の断片まだ失せず

・嫁ぎたる子の部屋暗し遠花火

・流灯を爪先濡らす水に置く

・ダムできる前の話や衣被

・蒟蒻を掘る山影を重く負ふ

・畦そこら枯れ極まりて日にまぶし

 

「待宵抄」

・食積の曲げて収まる海老の髭

・終日を耕し天に至らざる

・漱石を伏せて新茶を淹れにけり

・岸壁の秋やひらひら魚釣れて

 

「霜声抄」

・新年の岸壁天へ反るごとし

・湖の魚網に乏しき義仲忌

・能面に血のいろ通ふ花の昼

・繭籠の傷みの見ゆるまま積まれ

・力瘤失せたる腕を蚊が刺しぬ

・抱へ来るぐるぐる巻きの日除かな

・廃校の西日の壁の世界地図

・鎌の柄に二百十日の風湿る

・糸瓜忌の棚から垂るるものの影

・腰かがめ水禍の稲を起こし刈る

・敗荷の折れ伏すことの待つたなし

・我と我が影と冬田の端よぎる

 

★外部リンク

「ふらんす堂」HP

http://furansudo.ocnk.net/product/1672

http://fragie.exblog.jp/d2011-02-15/

 

「俳諧師前北かおる」

http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-633.html

前北かおる句集『ラフマニノフ』(2011年5月)

「夏潮」の創刊以来の運営委員であり、第1回黒潮賞を受賞した前北かおるさんの第一句集『ラフマニノフ』(ふらんす堂 2011年5月)。


『ラフマニノフの歌』                 石神 主水  (『夏潮』2011年10月号)


前北かおる君の俳句は、子どものような(失礼、純粋な)素直さに一貫して支えられている。

露草のミッキーマウスミニーマウス

かおる君の俳句生活では、まだ修業時代初期の句。小粒で可憐な藍色の露草の花をミッキーとミニーに見立ててしまう眼差しと俳句に仕立て上げてしまう無鉄砲さ、いや大らかさは、彼の持って生まれたセンスだろう。

初明り膨らんできて初日かな

かおる君が「あとがき」で書いているように、免許取りたての「かおるカー」で、しばしば吟行という名のドライブに出かけた。そのなかでも茨城県の御前山方面に初日は印象深い。山頂のらせん階段がむき出しの展望台(御前山ではなく、三王山であったか)に、地元の若者たちと一番争いをしつつ、見た初日は、大きく力強かった。

山鉾の戦の如く来たりけり

杉原祐之くんと三人で行った祇園祭。祇園祭は博多山笠のような激しい勢いのあるものでないが、巨大な山鉾が林立して、京の大路を堂々と巡るさまを、「戦」と叙したところに、やはり、かおる君らしい大らかさがある。

そのかおる君も大学院修了後、生涯の伴侶、麻里子さんを得て浜松へと行った。まことに順風満帆、まさに「ウエディングパーティーを載せ遊び船」である。この浜松時代、自身は句作のペースが落ちたと書いているが、たくさんの句を詠み、捨て、佳句を得ている。幾つか掲げたい。

全島のライトダウンに星祭

炭頭とろけてきたる火力かな

フェレットが腕よりこぼれたんぽぽ黄

大いなるジャスコが出来し秋桜

春雨に弾いて歌うて夫婦なる

春雨に二人は何を歌ったのか、詮索するつもりはない。しかし、後の句に「春の夜や娶りてしばし住みし町」があるように、夫婦として気持ちを一つにできたのが、この浜松時代であったのだろう。そして東京に戻り、母校慶應義塾中等部に奉職して現在に至る。近年の句は、さらに花鳥諷詠を極めつつ、温かな家庭を大らかに読んでいく。

吾と妻の間に生るる蝶々かな

春めくや夜の歌とは愛の歌

産声や青葉の殿の名を継ぎて

まさに待望の長子を得ることとなった愛が溢れている。

惜春の心ラフマニノフの歌

この句集の表題句にこそ、こうした彼の句の本質がある。ラフマニノフはロシアの音楽家であり、その曲中における甘美なピアノの旋律は春を惜しむ感覚に素直に調和する。このロマンチシズムこそ、かおる俳句の真髄なのである。


産声や青葉の殿の名を継ぎて   かおる  

  赤ン坊の泣声というものは、人の心を和ませる不思議な力を持っている。ましてや待ちに待った「産声や」ともなれば、父、母、となった二人は勿論のこと、周囲の身内の人たち、居合せた見知らずの人たちにとっても、まことに心地良い天使の歌声というものであるに違いない。私の住む小さな路地も老齢化が進んで久しいが、先般隣家の若夫婦に赤ちゃんが出来て時折泣声が洩れて来る。

  その泣声を聞くと自分の心が何とも言へない安らかな気持になるのを覚える。同じ頃、私には末の孫娘に二人目のつまり曾孫が生れた。多少の年令差はあるがかおるさんもつまりは孫の世代である。そこにまた一入の感慨がある。お世話になってをる夜の夏潮池袋句会で、かおるさんがこの句を披露されたことを記憶している。正確な言葉は覚えていないが確か「事前に性別は分っていたので生れる前に句が出来てしまった」というようなお話であったと思う。「産声や」という詠い出しにいま父となった何ともいえない喜びが余すところなく表現されている。

  俳人にとって第一句集が「産声」であるとすれば、その句集の棹尾を飾る句としてまことにふさわしい一句とも言えよう。 (今野露井)


店番の暇に温習(サラ)へる踊りかな   かおる

 「夏潮」創刊の一年前、平成十八年八月本井居で一ヶ月連続して開かれた「日盛会」に出された句とある。

  「踊り」は「盆踊」のことで、目にする句のほとんどは盆踊りの場の情景が多い。だが本番を前に、店番をしながら、さらっているのを見逃さず詠んだのが、この句である。こう詠まれてみると、村での暮らしがよく見える。都会の暮らしでは「店番の暇」はなかなかない。田舎へゆくと、朝早くから起きている間中、店を開けている。お客は殺到しないから、店番をしながら炊事も庭畑の手入れもする。お盆に向けては盆踊の復習が最も大切なのだ。

 かおるさんと初めて会った日、拙宅で句会をした。句会の後、軽やかにピアノを弾かれたかおるさんを思い出す。身についた音楽があればこそ、ラフマニノフやドビュッシーの佳句を創り得たと思う。一方で盆踊りの句や里神楽など、日本の民俗を細やかに詠んだ句に、慶應の折口先生の伝統に連なるものを感じる。

著者の類いなく深く広い心が、どのようなものを掴んでいくのか、楽しみである。 (山本道子)


藪椿歓喜の歌を歌ふかに    かおる 

  第一句集の『ラフマニノフ』の題名からも、又ワーグナ ー、エルガー、ドビュッシー、ショスタコーヴィチ他、奥 様と「弾いて歌うて」と句集には音楽に関する俳句が十句 以上あり作者は音楽、とりわけクラッシックがご趣味で造 詣の深い方と窺える。それ故掲出句の「歓喜の歌」は毎年 暮になると大合唱で歌われるあのベートーベンの交響曲第 九番第四楽章の「歓喜の歌」と思って間違いないであろう。

 豊かな森に今を盛りと多くの花をつけた高木の藪椿が想 像できる。藪椿の花はさほど大きくないが、真つ紅な花に 大きな黄色い蘂が目立つ。その花が密に咲いている様子は、 まるで大合唱隊がクライマックスを歌い上げているように 見えた。しかも艶やかな緑の葉に花の紅が引き立ちその華 やかさが一層増す。「歌を歌う」と歌の字を重ねた事で華 やかさとパワーが表現できた。いつも真摯な写生態度の作 者が目をこらしての写生の途中、ふいにこの薮椿が心の奥 の音楽に響き、あの「歓喜の歌」が蘇ったのだと思う。

 この句集はご結婚ご長男誕生の慶事やご家族の愛、絆又 何よりも俳句を作る作者の喜びが溢れている。俳句はその 時々の心持ちが自然と句の中に現れるものであるが、この 句も正にその通り、喜びのお裾分けを頂いた一句である。  (前田なな)


秋灯下時を刻める金の針    かおる

 秋のある日。ひとりの時間。

 静かな夜、時計の目が止まりました。やわらかいオレンジ色の灯りの中で金の針がしっとりと存在しています。

 今日届いた俳誌を読んでいるのかもしれません。テーブルの上にあった葡萄を食べているのかもしれません。昼間のちょっと嫌な出来事を思い返しているのかもしれません。なんとなく携帯電話をいじっているのかもしれません。明日は休み、今夜は夜更しするのもいいなあと考えているのかもしれません。

 時計を見ると、さっきからあまり時間が経っていません。短針も長針も気配を消しています。秒針だけが動いています。と、急に音が聞こえ出しました。時を刻む秒針の音。チッチッチッチッチッ。もうその音しか聞こえなくなりました─。

 毎日の暮らしの中でこんな時間はやって来ます。秒針の チッチッチッチッチッという音を聞いて、次第に心が落ちついてゆくこともあるし、どこか心細く不安な気持ちになることもあります。この句からは前者をイメージしました。今夜、金の針はいつもよりゆっくりと時を刻んでいるのです。何気ないけれどとても良いひとときが、かおるさんに訪れたことが伝わってきます。 (金子千鶴)


楽団を待ちをる椅子や秋灯下 かおる

 コンサートホールのステージに照明がともり、「開演に先立ちまして…」のアナウンスが放送される。静かになる。聴衆は、黒い服の楽員が出てくるのを待つ。ステージをよく見ると、指揮台に向いて扇のように配置された一つ一つの椅子が楽員を待っているように思われる。黄色味をおびた照明とステージの木の色、楽員の黒い服といった色彩感、秋のともしびの温かさ、指揮者が出てくるときの拍手やチューニング、これから奏でられる曲など、五感を刺激してくれる句でもある。

 「楽員を」でなく「楽団を」としたことの効果は二つ。一つは、クラシック以外にジャズやタンゴのバンドでも読めること(前書からはオーケストラであることが明瞭だが、それは措くとして)。もう一つは、ステージに配置された椅子全体が「楽団」という集団(かたまり)を待っているニュアンスが表れること。これに対して、「楽員を」としたならばクラシックが連想され、また一つ一つの椅子がそれぞれの主である楽員を待っている、という風景になる。いずれを採るかは目の前の実景と作者の美意識にかかるが、作者が慎重に措辞を選んでいることがうかがえる。   (小沢薮柑子)


枝伝ひ枝伝ひして梅が散る かおる

 はじめは風らしい風は吹いていなかったのだろう。零れ出た梅の花片は垂直にのびた枝を伝い、ゆっくり降りてゆく。それがやがてその枝の付け根にある太い枝に当たったかとおもうと、今度はその太枝の上を転がるようにして移ってゆく。そこにはわずかな風の助けもあったかもしれない。そのうち花片は枝(幹)を逸れ、地に落ちてしまった。

 梅の花片がこんなふうにきちんと枝を伝って散っていったかどうかはわからないが、「枝の伝い方」をさまざまに思い描くのは読者の自由だ。掲出句には、梅がどんなふうに枝を伝っていったのかは書かれていないのだから。

 では、何がこの句の骨格をなしているのか。それは「梅の木の形」である。この句は「枝伝ひ」と二度言うことで異なる二つの枝を見せる。そしてそれを手掛かりにさせて、縦にのび横にのびあるいは捩れもした、複雑でむつかしい形の梅の木というものを読者に喚起させているのである。読者一人一人がそれぞれにそんな「梅の木の形」を思い描くことができたとき、この一句はすでに成功しているといっていい。あとは、実際に「梅見」でもしているかのように、この梅の木と対峙し、その花片のさまざまな「伝い方」「散り方」を心ゆくまで楽しめばいい。

 実に省略の効いた一句といえよう。   (藤永貴之)


●その他関連記事は以下のとおり。

●著者本人のページ「俳諧師 前北かおる」の「ラフマニノフ」関連ページ

「やぶろぐ」

「前北かおる句集「ラフマニノフ」を読む(1)」

「前北かおる句集「ラフマニノフ」を読む(2)」